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燃えよ剣55

时间: 2020-05-26    进入日语论坛
核心提示:袂  別下総流山は、江戸からみれば鬼門の方角にあたっている。(歳もよりによって江戸の鬼門に陣所を設けなくてもよかろう)近
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袂  別

下総流山は、江戸からみれば鬼門の方角にあたっている。
(歳もよりによって江戸の鬼門に陣所を設けなくてもよかろう)
近藤は縁起をかつがない男だが、松戸から流山への馬上、妙にそのことが気になった。
街道はせまい。馬一頭がやっと通れるほどの道で、道の両脇にタンポポが咲いている。
「ひと茎《くき》、折ってくれ」
と、馬丁の忠助にたのんだ。
忠助が走って行って一茎を手折り、近藤に手渡した。
眼に痛いほど黄色い。
「………」
近藤はそれを口にくわえて、馬にゆられてゆく。茎の汁がわずかににがいようである。
「忠助、この土地をどう思う」
「広うござんすねえ」
馬の口をとりながら、下総の野の真中で肩をすぼめた。山のない広い野というものは変に気おくれのするものだ。
田園のあちこちに榛《はん》の木が植わっている。変化といえばかろうじてそれである。
 流山の町の中に小高い丘があり、地名はそこからきているのであろう。
町の西に、江戸川が流れている。行徳《ぎようとく》、関宿《せきやど》、上下利根川筋への舟つき場でもある。
「蚊の多い町だな」
馬上の近藤の顔に、蚊がむらがっている。
蚊の多いのは、水郷、ということもある。しかしなによりもこの町は、酒、味醂《みりん》の産地で、町じゅういたるところに大きな酒倉がある。酒倉の甘さをよろこんで、蚊がわくのにちがいない。
近藤は、この土地で、
「長岡の酒屋」
と通称されている大きな屋敷(現在、千葉県流山市酒問屋秋元鶴雄氏)の門前で馬をおりた。
関札がかかっている。
「大久保大和宿」
とある。歳三がかけたものだろう。
近藤は、門内に入った。
歳三が出むかえ、離れ座敷に案内した。
土地の世話役があいさつにきて、それらがひとわたり帰ったあと、
「歳、大きな屋敷だな」
と、近藤が、明け放った障子のむこうをみた。
邸内は三千坪はあろう。そのなかに、板張りの倉庫が幾棟かならんでいる。
「蔵はいくつある」
「三棟ある。一棟百五十坪から三百坪ほどもあるから、兵を収容するのにいい。むこうの一棟、これは中二階がついているのだが、それをあけてもらった」
兵舎にはうってつけの建物である。
「しかし、歳」
近藤は、手の甲の藪蚊をぴしっと叩いて、
「蚊の多いところだねえ」
と物憂そうにいった。
「この辺ではもう蚊帳をつっている。酒をくらって育った蚊だから、江戸の蚊の二倍はあるよ」
と歳三は勢いよく右頬をたたいた。
ぴちっ、と皮膚に小さく血がはねている。それを近藤はまじまじと見ながら、
「堕《お》ちぶれたものだな」
と苦笑した。新選組も、いまはこの草深い川沿いの町の藪蚊に食われている。
ソレがおかしかったのだろう。
兵は、予想以上にあつまった。
ざっと三百人。むろん、付近の農村の若者である。おのおの苗字を名乗らせ、銃器を与え、大小を帯びさせた。
歳三は、一同にミニエー銃の射撃操作をおしえ、近藤は、斬撃刺突の方法を教えた。
三百年、ねむったように静かだったこの郷が、にわかに騒然としてきた。
毎日、射撃訓練の銃声がきこえ、近藤のものすごい気合が、「長岡の酒屋」からきこえてきて、郷中の者は怖《おそ》れて近寄らない。
「歳、官軍が江戸を包囲している」
といったのは、戊辰《ぼしん》三月十五日のことである。
 官軍大総督府は、すでに東海道の宿々《しゆくじゆく》を鎮撫して、駿府《すんぷ》にある。
さらに、近藤らを甲州から追った東山道先鋒部隊は、土州藩士板垣退助にひきいられて、三月十三日、板橋に到着し、江戸攻撃の発令を待った。
江戸攻撃の予定日時は、早くから三月十五日早暁ときめられていた。
ところが、官軍の薩人西郷吉之助と幕人勝海舟とのあいだに江戸城の平和授受の話しあいがすすみ、攻撃は無期延期になった。
江戸の治安は勝に一任されることになり、官軍はその周辺に駐屯した。
最大の兵団の一つは、板橋を本営とする東山道先鋒部隊である。
「流山に、幕軍がいる」
とわかったのは、三月二十日すぎである。
密偵をつかって調べさせると、兵数はほぼ三百、すべて農兵である。
ただ指揮官の服装からみて、旗本らしい。首領の名は、大久保大和。
「それァ、甲州でやったあいつじゃないか」
と、参謀筆頭の板垣退助がいった。例の武鑑には載っていない幕臣の名である。
「近藤だな」
そういう観測が、一致した。
というのは、この東山道部隊が、甲州勝沼で大久保大和を破ったあと、甲州街道を進撃し、去る十一日に武州八王子の宿に入り、同宿横山町の旅籠「柳瀬屋」を板垣退助の本営として、敗敵の捜索を行なった。
「このあたりは新選組の発祥の地だ」
ということは、官軍の常識になっている。
とくに、天然理心流の保護者であり、歳三の義兄にあたる日野宿名主佐藤彦五郎家に対する詮議《せんぎ》はきびしかった。
この一家は、官軍襲来とともに逃げ、やがて四散してそれぞれ多摩一帯の親類を転々としていたから、容易に所在がつかめない。
彦五郎の子佐藤源之助(昭和四年没、八十)はこの当時十九歳で、他人の撃剣道具から感染した疥癬《かいせん》をわずらい、歩行困難にまで病みおとろえていた。
いったん粟ノ須の親戚へ落ち、さらに隣村宇津木へ山越えして逃げ、農家の押入れにかくれているところを官軍の捜索隊に発見された。
八王子の本営で、取調べをうけた。
要するに、父佐藤彦五郎の行方が、尋問の焦点である。源之助は、知らぬといった。
吟味役は、三人で、そのうちの二人はひどい薩摩訛《さつまなま》りでよくわからなかった。あとの一人の言葉だけはわかった。土佐藩の谷守部である。
谷の取調べは執拗をきわめた。谷にしろ参謀筆頭の板垣にしろ、土佐藩士は新選組に対し、異常なほどの憎しみをもっていた。京都で同藩の者が、多く、新選組のために命をうしなっている。とくに、坂本竜馬を暗殺したのは新選組だとかれらは信じていた。
「そちの父、彦五郎はどこにいるか」
というのが、質問の第一項である。彦五郎をさがし出すことによって、近藤と歳三の所在を知ろうというのが目的であった。
尋問の第二項は、「彦五郎と近藤勇、土方歳三はどんな関係か」。第三項は「日野宿における銃器の有無」。第四項は「日野宿および付近一帯の住民は、かつて近藤勇から剣法を学んでいたというが、その術者の人数」、というものであった。
その四カ条をくりかえし質問し、その後は納屋に檻禁し、翌日午後、奥庭のムシロの上にすわらされた。
 源之助遺話・前の障子が左右にあいて、ひとりの威儀厳然たる男があらわれた。番兵が小声で、頭を下げよ、という。謹んで敬礼をした。この人物が板垣退助であった。
 板垣は、源之助を病人とみて、さほどの尋問はしなかった。ただ、
「大久保大和、内藤隼人は、出陣にあたってそちの家で昼食をとり、郷党を引見したというのはまことか」
といった。
同じ質問を、昨日もされた。そのときは、「近藤、土方は」という問い方だった。
きょうは、「大久保、内藤は、」という名前を、板垣はさりげなく使った。源之助はついつりこまれて、そうです、と答えた。
これで、この変名のぬしが何者であるかが官軍にわかった。

それが、流山に布陣しているという。
板橋の官軍本営では、色めきたった。この東山道先鋒軍が、もし土佐兵を主力にしていなければ、あるいはこうも沸きたたなかったかもしれない。
「京の復讐をやろう」
という昂奮が、営中に満ちた。
官軍の副参謀格で、御旗扱《おはたあつかい》という役目についている者に、
香川敬三
という人物がいた。元来は水戸藩士だが、京都相国寺詰めとなり、長州、土州の過激志士とさかんに交通していたが、やがて脱藩し、土佐藩の浪士隊である陸援隊に投じた。
陸援隊の隊長は、海援隊長坂本竜馬とともに横死した中岡慎太郎である。
中岡の死後、隊の指揮は土州脱藩田中顕助(のちの光顕、伯爵)がとり、香川は副長格になり、鳥羽伏見の戦いのときは、討幕軍の別働隊として高野山に布陣し、紀州藩のおさえになった。
香川は維新後はもっぱら宮廷の諸職をつとめ、最後は皇太后宮大夫、伯爵、大正四年七十七歳で死没。
狐の香川、というあだながあり、性格に陰険なところがあって、幕末からずっと一緒だった同志の田中光顕でさえ、維新後折合いがわるくなり、田中は香川が死ぬまで口もきかなかった。
その香川が、
「新選組討滅の隊に加えてもらいたい。中岡の仇に酬いるためだ」
と、板橋の本営にねがい出た。願いとしてはもっともである。
が、この鉢びらき金つぼまなこの男には、隊の指揮というものができない。
薩人有馬藤太(副参謀、のちの純雄)が兵三百をひきいて討伐にむかうことになり、香川はその部隊付として参加した。
有馬隊が、その宿営地の千住を出たのは、四月二日早暁である。
有馬は、この千住付近に、流山からしきりと密偵が入りこんでいることを知っている。
だから、自軍をあざむき、兵には、
「古河《こが》へゆく」
と告げ、その夜は千住どまり、その翌日は粕壁《かすかべ》(現・春日部市)にとまった。
その翌朝、にわかに軍を反転させて南下し、やがて利根川の西岸へきた。
兵がおどろいてたずねると、有馬は対岸の流山を指し、
「あれを攻撃する」
といった。
すぐ近在の農家、漁家からありったけの舟をあつめて、神速に川をわたり、土手下に集結した。
朝、九時ごろである。
 流山の聚落から、その模様をまず知ったのは、町の西方を警備していた数人の兵であった。
早速、射撃した。
が、射程とどかず、しかも官軍側はしずまりきって、一発も撃ちかえしてこない。
「歳、銃声だな」
と近藤がいったとき、警戒兵が走りこんできて、敵が来襲した、という。
「よし、見てくる」
と歳三は厩舎《きゆうしや》へ走って行って、馬にのるや聚落の中のせまい道をあちこち乗りまわしつつ、西の町はずれにきた。
(なるほど)
はるか土手のあたりの民家のかげに、官軍の影がしきりと出没している。
人影五百、とたしかめ、むしろこちらから急襲すべく本営に駈けもどった。
「みな、本陣の庭にあつまれ」
とどなった。
すぐ近藤の部屋の障子を、縁さきから手をのばしてあけた。
「どうした」
歳三はおどろいた。
近藤は、平服に着かえてしまっているのである。
「歳、官軍の本陣まで行ってくる。われわれは錦旗に手むかう者ではない、ということを釈明しにゆく」
「あんた、正気か」
「正気だ。ここ数日、考えた。どうやらこのあたりが、峠だよ」
「なんの峠だ」
近藤は答えない。答えれば議論になることを知っている。
近藤は、白緒の草履をはいた。
「話せばわかるだろう」
近藤は、官軍をあまく見ていた。まさか、新選組局長近藤勇の正体がばれていようとは想像もしていない。
流山屯集部隊は、要するに、利根川東岸の治安維持のために駐留している、と申しひらきすればよい。
不都合である、と官軍がいえば、解散させるまでで、それ以上のきびしい態度を官軍がとるとはおもわれない。
なぜならば、江戸府内の治安維持についても、官軍は彰義隊を半ば公認し、それに一任しているかたちなのである。
(流山屯集隊もおなじではないか)
だから近藤はあまく見た。
「よせ」
と歳三はいった。
「|わな《ヽヽ》にかかるようなものだ」
「いや大丈夫。それに歳」
と近藤はいった。
「わしはながいあいだ、お前の意見をたててきた。しかしここはわしの意思どおりにしてもらう」
近藤は微笑している。その笑顔は歳三がかつてみたことのない安らかなものだった。
「すぐ、戻る」
近藤は、部下二人をつれて門を出た。
 官軍の陣所になっている百姓家まで、ひとすじの田ンぼ道がつづいている。
近藤は、部下二人に先導させ、ゆっくり草を踏みながら歩いた。
やがて、柴垣をめぐらしたその百姓家の前へきた。官兵が銃を擬して、さえぎると、
「軍使です」
とおさえ、隊長に会いたいといった。
やがて、座敷に案内された。
「大久保大和です」
と、近藤はいった。
有馬は、薩人らしいやわらかな物腰で、用件をきいた。
そばに、香川敬三がいる。
有馬も香川も、近藤の顔は見知らない。しかしその特異な風貌は、聞き知っている。
(まぎれもない。——)
香川の眼が青く光った。
「今朝来」
と近藤はいった。
「官軍と気づかず、部下の者が不用意に発砲しました。おわびに来たのです」
「あれは不都合でごわしたど。御事情もあり申《も》そが、いずれにせよ、お申しひらきは、ご足労ながら粕壁の本陣でしていただかねばならぬ。それに、ただちに銃砲をさしだされたい」
「承知しました」
とうなずいた近藤の心境は、歳三にはわからない。
「一たん、帰営の上で」
と、近藤はもどってきた。
 歳三は、激論した。
ついに、泣いた。よせ、よすんだ、まだ奥州がある、と歳三は何度か怒号した。最後に、あんたは昇り坂のときはいい、くだり坂になると人が変わったように物事を投げてしまうとまで攻撃した。
「そうだ」
と近藤はうなずいた。
「賊名を残したくない。私は、お前とちがって大義名分を知っている」
「官といい賊というも、一時のことだ。しかし男として降伏は恥ずべきではないか。甲州百万石を押えにゆく、といっていたあのときのあんたにもどってくれ」
「時が、過ぎたよ。おれたちの頭上を通りこして行ってしまった。近藤勇も、土方歳三も、ふるい時代の孤児となった」
「ちがう」
歳三は、目をすえた。時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ、と歳三はいった。
が、近藤は静かにいった。おれは大義名分に服することに美しさを感ずるのさ。歳、ながい間の同志だったが、ぎりぎりのところで意見が割れたようだ、何に美しさを感ずるか、ということで。
「だから歳」
近藤はいった。
「おめえは、おめえの道をゆけ。おれはおれの道をゆく。ここで別れよう」
「別れねえ。連れてゆく」
歳三は、近藤の利き腕をつかんだ。松の下枝のようにたくましかった。
ふってもぎはなつかと思ったが近藤は意外にも歳三のその手を撫でた。
「世話になった」
「おいっ」
「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」
「………」
歳三は、近藤の顔をみた。
茫然とした。
「行くよ」
近藤は、庭へおりた。おりるとその足で酒倉へゆき、兵に解散を命じ、さらに京都以来の隊士数人をあつめて、
「みな、自由にするがいい。私も、自由にする。みな、世話になった」
近藤は、ふたたび門を出た。
歳三は追わなかった。
(おれは、やる)
ぴしゃっ、と顔をたたいた。脚の黒々とした藪蚊がつぶれている。
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