不接地气。连属于何处都不知道。“市民”啊,归根到底不过是“抽象的幽灵”。近20年前,原首相中曾根康弘曾如此批判宣扬“市民是主角”并以此登上政治舞台的旧民主党。
地縁血縁や会社、組織のしがらみに埋没せず、自立して公共的なことがらに関わる個人。そうしたイメージは、「国家統治」の観点を重んじる保守派には、反権力的で青白いインテリの発想と見えたのだろう。
每个人不应被局限在地区血缘、公司以及组织的范畴内,应该自立地处理公共事物。而这样的观点对于重视“国家统治”观点的保守派而言,具有反权力性质,是苍白的知识分子阶层的突发奇想。
「市民の政治」を早くから提唱し、旧民主党を結党した菅直人元首相らにも影響を与えたのが、政治学者で東大名誉教授の篠原一(はじめ)さんだ。ヨーロッパの政治史を専門としつつ、日本政治の現実にも向き合った論客が亡くなった。享年90。
政治学者、东京大学名誉教授筱原一先生很早开始就提倡“市民的政治”,并影响了组建旧民主党的原首相菅直人等人。这位边专注研究欧洲政治边正视日本政治现实的辩士去世了。享年90岁。
市民参加に加え、政党政治の研究でも先駆的だった。多党制の下、大きさや政策の異なる複数の政党が手を組み、いかに政権をつくるか。「連合政治」の理論である。自民党一党優位の55年体制を何とか崩したいという強い問題意識がうかがえた。
除了市民参与之外,他还是政党政治研究领域的先驱。多党制之下,政治是否就是组建复数的、大的、政策不同的政党,然后组建政权?这是其“联合政治”的理论。他抱有强烈的问意识,无论如何都要摧毁自民党一党独大的55年体制。
それだけに2009年の政権交代を高く評価した。官僚主導や「土建国家」からの脱却。そんな「過去」との断絶に着目し、日本政治は55年体制に続く「第二」の民主制へ転換したと位置づけた。
正因如此,所以他对2009年的政权轮替做了高度的评价。国家得以从官僚主导以及“土建国家”中脱身。他着眼于政治与这种“过去”断绝,认为日本政治继“55年体制”之后,走向了“第二”民主制的转换。
政権交代は残念ながら挫折に終わった。けれども、篠原さんが残したものは大きい。3・11後の脱原発デモに続き、安保法制への抗議行動が全国に広がる。抽象的な幽霊などではない、地に足のついた市民の姿である。
政权轮替很遗憾的以失败而告终。即便如此,筱原先生还是留下了大量的经验。继3.11后的摆脱核电示威游行之后,反对安保法制的抗议活动在全国蔓延开来。而参与这些的正是与其息息相关的市民,而非抽象的幽灵。