像猫儿一样生活是我的理想。睡觉、起床全由自己,还能打打哈欠。从少年时代起,就打算“只作为懒汉活下去。”然而,他被战争赶出了家门。他身不由己地坐上非常破旧的船去了南方,因为美军的轰炸失去了左手手腕。
死線をさまよったが生き延びた。自生するパパイアの実を両足ではさみ、右手のさじでほじくりだして食べて、命をつないだという。運命の歯車がわずかでも違えば、後年の漫画家「水木しげる」は存在せず、「ゲゲゲの鬼太郎」もこの世に現れることはなかった。
几度徘徊在死亡线上,所幸最后捡回了一条命。他用两脚夹着野生的木瓜,然后右手拿着勺子挖来食用,就这样活了下来。如果命运的齿轮稍微偏差一点,那么后世的漫画家“水木茂”就不会有了,《咯咯咯的鬼太郎》也不会出现在这个世界上了。
その体験もあってだろう、亡くなった水木さんの画風はむろん、語り口も、どこかこの世とあの世を越境していた。飄々(ひょうひょう)とした味わいの中には、戦争で散った仲間を悼む涙があふれていたように思う。
或许是有过这种体验吧,谢世的水木先生的画风自不必谈,他的讲话口气也有种往来于两个世界的感觉。在飘飘然的味道之中,充满了哀悼在战争中遇难的同伴的眼泪。
復員後は、傷痍(しょうい)軍人として街頭に立ったこともあった。水木漫画で妖怪ものと並び称される戦記ものに、英雄は出てこない。兵隊たちのやるせない姿だけがある。不条理への憤りが、ひしひしと伝わる。
他复员后,作为伤残军人曾游荡于街头。在水木的漫画系列里,那些以妖怪并称的的战记里并没有出现英雄。有的只是士兵们那看起来显得悲哀的背影,传达着对横蛮的愤怒。
質屋の預かり証が3センチにもなり、ろうそくの灯で絵を描いた貧乏時代は、朝のNHKドラマ「ゲゲゲの女房」などでよく知られる。売れ出したのは40代半ば、遅咲きの大輪だった。
在那当铺存单有3厘米厚,用蜡烛画画的贫乏时代,他凭借上午播放的NHK电视剧《咯咯咯的老婆》等节目广为人知。而作品大卖是在他40过半的时候,可谓是大器晚成。
「かみさんはうまくやってくれるし、好きなことしてメシが食えて、巨万の富も築いたわけですから」。6年前の朝日賞の授賞式で茶目(ちゃめ)っ気たっぷりに語り、会場を笑わせた。享年93。砂かけ婆(ばばあ)に手を引かれて、戦友のもとへ向かっているか。
“老婆子待我很好。让我干着喜欢的事,能吃饱饭,还积累了巨大的财富。”在6年前的朝日奖的颁奖仪式上,他调皮的口吻让现场笑成了一片。他享年93岁。或许他正被撒沙老婆婆牵着手,赶去见他那些战友吧。