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野坂昭如 与世长辞

时间: 2016-01-05    进入日语论坛
核心提示:脳梗塞(こうそく)をわずらった野坂昭如(あきゆき)さんが、リハビリの日々に詠んだ「ひとり連句春秋」という一冊がある。歩行
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脳梗塞(こうそく)をわずらった野坂昭如(あきゆき)さんが、リハビリの日々に詠んだ「ひとり連句春秋」という一冊がある。歩行がままならぬ中での第一句は〈逝く春やもうじき俺は歩き出す〉。夏には〈雨蛙(あまがえる)今年はどこが飢えるやら〉。飢えにとことん痛めつけられた人の、悲痛な体験が透けて見える。
 
患上脑梗塞的野坂昭如先生在康复期间写了一本名为《连句春秋》的册子。在无法走路的状态下,其创作的第一句诗便是“春天逝去,不久之后我也将出发”。在夏天的时候,他写到“雨蛙,今年在哪挨饿呢”。他对饥饿有着切肤之痛,在诗中可以看到其悲伤的经历。
 
代表作でアニメ映画になった「火垂(ほた)るの墓」は体験に基づいている。終戦の年、神戸空襲で家を焼かれ幼い義妹と福井県へ身を寄せた。だが妹はやせ衰えて栄養失調で死ぬ。小さな遺体を田んぼの中の石のかまどで荼毘(だび)に付した。
 
其基于自身经历的代表作拍成了动画片《萤火虫之墓》。在投降那年,因为家在神户空袭中他讲烧毁,所以他和年幼的义妹一起去了福井县。但是,妹妹因为过于瘦弱,营养失调而去世了。在田间石头垒成的土灶中,他将妹妹火化了。
 
指の先ほどの骨しか残らなかったそうだ。句中の「雨蛙」は、青い水田からの連想であろうか。「戦争で、最もひどい目に遭うのは、子供たちだ」。戦後70年だったこの夏、本紙への寄稿をそんな言葉で結んでいた。
 
据说遗骸只留下了一段指骨。句中的“雨蛙”,或许是基于绿油油水田的联想吧。“在战争中,最痛苦的莫过于孩子。”在战后70年的夏天,他给本报的来稿中结尾的就是这句话。
 
野坂さんが85歳で亡くなった。直木賞作家というのがわかりやすい肩書だが、縦横自在な顔があった。作詞家にして黒メガネの歌手。雑誌編集長。参院議員。新潟で選挙に立ち田中角栄氏に挑んだこともある。
 
野坂先生在85岁去世了。直木奖作家这一荣誉广为人们认可,他却仍然一副我行我素的样子。他既是作词家,又是受欢迎的歌手,还是杂志编辑,参议院议员。曾经在新泻县出马选举,挑战田中角荣。
 
根っこにあったのは、昭和ひとけた世代の反骨心と正義感であろう。一面の焼け野原から僕らのすべては始まったと言い、まだ足は焼け跡に置いたままのつもりだと語っていた。型破りと過激が絵になる人だった。
 
他所有一切的根本是昭和第一代人的反抗心理和正义感。他说,我们的一切都是从一片焦土上开始的,所以有着再次变成废墟的觉悟。他是一个打破常规,性格过激的人。
 
空襲に焼かれた後の日、妹を背負ってよく見入った蛍の群舞が忘れられないと書いていた。以来、自分は唱歌「蛍の光」を歌えないと。世界の今を憂えながらの、旅立ちだったに違いない。
 
他写到,遭受空袭后的日子了,背着妹妹经常看到令他这辈子也忘不了的萤火虫群。自那以后,他自己就不再唱《萤火虫之光》了。在担忧世界的心情中,他踏上了旅程,想必一定是这样吧。
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