“再也不想看到饿着肚子的孩子的脸。”永六辅先生在野坂昭如先生的葬礼上说,野坂先生反复讲述的这句话将由我们来传承下去。与野坂先生一样,他们也亲身经历过战争带来的残酷。
戦争が終わっても食料は乏しく、迫る冬に人々はおびえた。東京の日比谷公園では「餓死対策国民大会」が開かれた。遠い昔のことと思っていたが、先日の本紙記事に胸のつぶれる思いがした。
战争结束后,粮食缺乏,逼近的冬天威胁着人们。在东京的日比谷公园召开了“饿死毒对策国民大会”。虽然这是很久以前的事情了,但前几天本报登载的报道,令我心情久久不能平静。
貧困にあえぐ30歳の母親はよく、ご飯にサラダ油としょうゆだけの「食事」を2人の娘に食べさせたという。2人は腹をすかせ、ティッシュペーパーを口にした。次女は塩をふってかみしめた。ろうそくの炎を見つめながら、長女は「死んじゃうの」と聞いたそうだ。
在贫困中苦苦挣扎的30岁母亲,常常用色拉油和酱油就着饭给两个女儿吃。两个小女孩饿着肚子,竟然吃起了卫生纸。小女儿还沾盐吃。据说母亲还听到大女儿对着蜡烛的火苗说“会死吗?”
夫の暴力に耐えられずに家を出て、周囲からも制度からも孤立しがちだった。今は生活保護で暮らすが、「自分だけ助けてと言うのが恥ずかしく、なかなか言い出せなかった」と母親は振り返る。
这位母亲因为受不了丈夫的暴力离家出走了。在这种情况下,无论是在周边人群中还是在制度中,都容易陷入孤立。现在的她们正靠着生活保障生活着,“因为觉得求人帮助自己很羞耻,所以说不出口”,这位母亲回顾说。
日本では、一人親など大人が1人の世帯の子どもの貧困率は5割を超す。とりわけ母子家庭は厳しい。その世帯数は1983年に比べて1・7倍に増えている。大人もつらいが、えてして子どもの涙は大人の涙より大粒だ。
在日本,单亲家庭的贫困率超过了50%。其中,妈妈带孩子的家庭情况更为严重。这一阶层的数量与1983年相比,增加了1.7倍。虽然大人也很难过,但孩子往往更加痛苦。
「どの社会にとっても、赤ん坊にミルクを与えることほど素晴らしい投資はない」と英首相チャーチルは述べていた。「赤ん坊にミルク」を「次世代に支援」と広く読みたい。しっかり食べてしっかり学んでもらう。野坂さんも願っているだろう。
“无论何种社会,给孩子牛奶都是最好的投资。”这是英国首相丘吉尔的话。在此,希望将“给婴儿牛奶”的解读扩大,变为“帮助下一代”。希望他们能吃饱,学好。野坂先生一定也是如此希望的吧。