好久没有这么普通地去迎接新年了。而这么做的原因仅仅是出于犯懒。“没有竖起松枝,没有任何装饰,没有打年糕,窝在家里就迎来了春天”,作者是元政法师。与平日没有区别的正月也是这样一种氛围。
目を外に転じれば、世界も日本も引き続き大小様々な変化にもまれるのだろう。人は短期的な変化に過剰反応しがちな一方、中長期的な変化の意味を過小評価しがちだという説がある。曇りないレンズで時代を見ることは難しい。
将目光移向外面,无论是世界还是日本,都处于不断发生的各种变化之中。有一种观点认为,一方面人们对短期的变化往往产生过激的反应,而对中长期的变化容易轻视。用客观的眼光看待所处的时代并非是件易事。
「この時代、おかしくないか」。科学技術社会論が専門の神里達博(かみさとたつひろ)さんがそう感じたのは、冷戦終結後という。今が時代の節目だとの思いは、9・11や3・11を経て強まった。その直観を確かめるべく書いた『文明探偵の冒険』は刺激に富む。
“这个时代,难道不觉得奇怪吗?”,科学技术社会论的专家神里达博先生有这样一种感觉,是在冷战结束之后。在经历了9•11和3•11之后,对当今时代的阶段之感愈发强烈了。为了证明这种直观感受而写的《文明侦探的冒险》中充满着刺激。
神里さんのいう節目の時代は長く続く。エネルギー資源の限界を克服できなければ、「近代」は終わる。次の時代の方向性が見えてくるのは20年以上先かも知れない。混乱を覚悟しながら、のんびり行くしかない、と。共感しつつ、足元のおぼつかなさに不安にもなる。
神里先生所说的阶段时段长期存在。如果没有克服能源资源的限制,那么“近代”就会终结。而看到下一时代的方向性则或许会花上20年以上。他说,在对混乱有着觉悟的同时,我们只能慢慢前行。虽然我对此感到共鸣,但对脚步的慌乱仍感到不安。
〈生酔(なまよい)の礼者(れいしゃ)を見れば大道を横すぢかひに春は来にけり〉大田南畝(なんぽ)。礼者とは年始回りの人。酔いが過ぎ、あっちへふらふら、こっちへふらふらの図だ。酔漢のみならず、世の中もまた真っすぐとは進むまい。そんな感慨を見て取るのは現代人の深読みか。
“如果看到微醉的拜年之人,那么春天已大步而来”,作者是大田南亩。所谓礼者就是拜年的人。酒劲上头,走路晃晃悠悠。不仅是醉汉,社会也是步履蹒跚。之所以发出这种感慨,是因为现代人的深刻解释。
千鳥足になるわけにはいかない。しかし、迷い、ためらいながらの多難な道行きになることは、今年もまた覚悟しておくことにする。
绝对不能步履蹒跚。但是,前路多艰,迷茫、徘徊在所难免,在新的一年里,我也将做好准备。