早上,报纸送来,“我平时最先翻开体育栏”,说这句话的是美国政治家、法官沃伦氏,“哪里记录着人类达成的记录。而第一版则往往是人类干出来的失败之事。”本栏也曾谈过这些。
きのうの本紙最終版の1面にも「人間のしでかした失敗」が載った。プロ野球の清原和博元選手(48)が覚醒剤所持の疑いで逮捕された。まだ容疑の段階だが、幾度もスポーツ面を飾った花形の、あるまじき事件記事である。
昨天,本报最终版的头版也刊登了“人类干出的失败”。职业棒球选手清原和博(48岁)因涉嫌持有兴奋剂而被逮捕。虽然还处于怀疑的阶段,但这却是曾几度为体育版增彩的他所不应该干出的事。
8年前の秋、引退式で、3万人ものファンが歌手の長渕剛さんと名曲「とんぼ」を大合唱した。打席へ向かう清原選手のテーマソングだった。〈死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローが/知らん顔して黙ったまま突っ立ってる〉。
8年前的秋天,在他的退役仪式上,3万粉丝同歌手长渊刚先生一起合唱其名曲《蜻蜓》。而且,这歌是清原选手走向击球手位时的主题曲。“拼死崇拜的东京笨蛋,因为一张陌生的脸而默默站着”。
歌詞の一節そのままに、「バカヤロー」と泣きたい気分のファンは少なくあるまい。本塁打、安打、打点。どれもが一流だが、それにも増して人間味や男気、反骨無頼の味わいで人をひきつけた。
就像歌词中唱的那样,肯定有很多粉丝一边哭,一边大骂“混账”吧。本垒打、安全打、击球得分。每个动作都是那么完美,并且人们还为他那人情味、男人味和奔放不羁所吸引。
とはいえ許されるのは「味わい」までで、文字通りの無頼、無法に落ちては栄光も崩れ去る。本人は覚醒剤を「私のものに間違いありません」と認めているそうだ。道を踏み外す前には、いくら悔やんでも戻れない。
话虽如此,但被宽恕的只是“感觉”而已,文字上所说的不羁因为违法乱纪而褪色,其光荣也逐渐分崩离析。据说他本人承认兴奋剂“是他自己的东西。”一旦走上了邪路,那么无论多么悔恨也无济于事。
十数年ばかり前、ある歌手が覚醒剤事件裁判の被告人質問で述べていたのを思い出す。「捕まってよかった。これでやり直しがきく」。深夜の警察車両でうなだれる清原容疑者の胸中を、何がよぎっていっただろう。
我想起了十几年前,某位歌手因为兴奋剂事件而作为被告所做的陈词。“被捕也是一件好事。这样就能重新再来了。”深夜,低头坐在警车中的嫌犯清原氏,又会想起些什么呢?