不经意间发现自己哼着《早春赋》。在这个季节,或许还有人也会如此吧。歌词:春日徒有其名,寒冷凛冽……。个人觉得女声合唱最为适合,但是一个人浅唱低吟也别有一番风味。在严寒中之所以感受到淡淡的春意,是因为注意到在北风之中出现那一抹绚烂的亮光。
〈梅二月ひかりは風とともにあり〉西島麦南(ばくなん)。光はいつも、気温にさきがけて次の季節の到来を告げる。日脚も伸びて、東京ならもう元日より30分以上日没が遅い。2月のことを「光の春」とはよく言ったものだ。
“二月梅开,寒风凛冽”,作者是西岛麦南先生。按照惯例,继气温之后,光也宣告下一个季节的到来。日照时间延长了,在东京,相比元旦那天延长了30多分钟。所以人们才将二月称为“光之春”。
その言葉を、気象随筆の倉嶋厚さんは旧ソ連の論文で知ったという。モスクワの予報官から贈られた本には、荒涼とした冬から兆(きざ)しはじめる「光の春」が美しく語られていた。冬が暗くて長いほど光に春を感じるのだろうと倉嶋さんは言っている。
专写气候随笔的仓岛厚先生在前苏联的论文上知道了这个词。从莫斯科的气象官员那获赠的书上毫不吝啬对来自荒凉的冬天初始信号“光之春”的赞美。冬日越黑暗越长久,人们对春天的光芒感受越深,仓岛先生说。
きのうは立春、春がたち返る日だった。いつもながら名のみの節目だが、それでも駅まで歩く道で、日だまりにかたまって咲く空色の小花を見た。ぱちりと開いた早春の花はオオイヌノフグリだ。
昨天是立春,是春天回来的日子。虽然其一直有名无实,但是漫步于车站街头,看到乐顽强立于阳光之下的淡蓝色小花。唯有阿拉伯婆婆纳才会在早春盛开。
犬のふぐり、すなわち「犬の股間の袋」という、いささか不憫(ふびん)な名をつけられて、花の精はお怒りか。この花は光の春にふさわしく、陽光の中で開き、日が陰るとつぼんでしまう。
“犬のふぐり”,换而言之就是“狗的睾丸”,被起了这么个过分的名字,花的精灵是不是会勃然大怒呢?它非常适合光之春这个世界,在阳光中盛开,天阴则又会收回去。
早春賦に戻れば、その3番#春と聞かねば知らでありしを/聞けば急(せ)かるる胸の思(おもい)を……は、名ばかりの立春への恨み節にも思われる。春ほど待たれる季節はなく、春ほど待たされる季節もない。遠い兆しに五感を澄ましてみる。
话题回归早春赋,其第三段是:一闻春天便知晓,一听便心急……。这让人想到对徒有其名的立春的厌恶。没有一个季节比春天更让人翘首以盼,也没有一个季节比春天更值得人们等待。让我们清心感受遥远的征兆吧。