批评家小林秀雄先曾得意地挂起书法家良宽的诗作。然而,一位研究良宽的专家朋友却说这是假的,于是他拿起刀把诗作砍得稀巴烂。这是《真假》一文开头的插话。
偽物はともかく、良寛の筆は独特だ。脱力系と言おうか。書家の石川九楊(きゅうよう)さんによれば、「けだるく、懶(ものう)い」書である。例えば「二」という字は第一画、第二画とも短い。長めの点が二つ、離れて並んでいるように見える。二の字がもし話せたら、これは私の偽物ではと苦情を言うかも知れない。そう思うほどだ。
暂且不谈赝品,其实良宽的书法是很有特色的。或许应该说其是属于笔触无力那一类的。按照书法家石川九杨先生的说法,其书法“无力,散漫”。比如“二”这个字,其第一划、第二划都比较短。长长的二个点散乱排列着,看起来就是这样一副样子。或许谈起这个“二”字,有人就会抱怨这不就是我写的翻版么?肯定有人会这么想。
字の書きぶりは人それぞれだが、その形をめぐり困った問題が起きているらしい。例えば、鈴木さんが銀行の窓口で署名したら、書き直しを求められた。「令」の下の部分を「マ」と書いたのだが、印刷文字の形と同じにしてほしいと言われた――。
字的书写样子因人而异,围绕其形态,令人困惑的问题正在发生。例如,铃木先生在银行柜台窗口签名的时候,被柜员要求重写。虽然“令”的下半部分是写的“マ”,但却被要求写成和印刷体一样的样子……。
明朝体などとの細部の異同を必要以上に気にし、本来なら問題にならない違いで正誤を決める傾向が出ている。そんな問題意識から、国の文化審議会が常用漢字の字形に関する指針をまとめた。
过度在意同明朝体(印刷体)在细部的异同,那么就会因本来不成问题的错误决定书写正确与否,目前正呈现出这种倾向。出于这种问题意识,国家文化审议会总结了关于常用汉字字形的标准。
「保」の字の下の部分は、「木」でも「ホ」でもいい。とめる、はねるといった違いはあっても、文字の骨組みが同じなら誤りではない。手書き文字には多様性があっていいということを示したかったと担当者は言う。
“保”字的下半部分,既可以写成“木”,也可以写成“ホ”。而如果存在所说的 “とめる”、“はねる”的错误,如果文字的骨架相同则不算错误。负责人说,希望通过此向人们展示手写文字的多样性。
良寛の個性的な書ならずとも、人が自らの手で書く文字はこの世で唯一無二の刻印だ。印刷文字にはない味わいがある。達筆にはもちろん、悪筆にもそれなりに。
即便写不出良宽那种颇具个性的文字,每个人手写的文字都是自己在世上独一无二的印记。而印刷体则不存在这种味道。写得好固然如此,写得丑也是一样。