他对现有的事物观察方式表示怀疑。9年前,曾经撰文道,不认为山阴地区是文化先进地区“可以说是非常脱离历史事实的偏见”。在岛根县立古代出云历史博物馆开馆之际,古代史学家上田正昭先生曾经投稿本报,称一定要好好看一看令人惊讶的青铜器所代表的“出云文化灿烂辉煌”。
以前は普通に使われた「帰化人」という言葉にも疑義を呈した。中国や朝鮮半島の人々が日本に定着することを日本書紀は帰化と書いているが、古事記は単に「渡来」と記していると指摘。より客観的な渡来人という呼称を広げた
对于沿用已久的“归化人”一词也表示了疑义。他指出,虽然日本书纪将来自于中国及朝鲜半岛并定居日本的人们称之为归化,可是,古事记则只使用了“渡来”。于是,在他的倡导之下,更客观的渡来人之称呼便广为流传。
日本の歴史と文化が、「渡来の人々と渡来の文化」の受容の上に育まれてきたことを説き続けた上田さんが亡くなった。享年88
就是这位坚持认为日本的历史和文化成长于接受了“渡来之人和渡来之文化”的基础之上的上田先生去世了,享年88岁。
若き日の高校教員時代の体験から、民族差別や部落差別の研究も深めた。古くは「日本のなかの朝鮮文化」という季刊誌に関わり、京都にある世界人権問題研究センターの理事長も務めた
年轻时代执教于高中的经历帮助他加深了对民族歧视及部落歧视的研究。早年曾经参与过编纂季刊杂志“日本国内的朝鲜文化”,并担任过位于京都的世界人权问题研究中心的理事长。
〈山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき世に〉。2001年の歌会始の召人としての作品だ。戦争の世紀から、共生の世紀へ。共に生きるだけでなく、新しい文化を共に生み出していこうという思いを込めた
<群山相依水相连,草木有情人睿贤,生生息息共一处,同建辉煌新地天>,这首和歌是先生作为2001年新年歌会入选作品吟诵人时的作品。不难看出该作品所包含的深刻寓意。时代已经从战争的世纪步入了共同发展的世纪, 我们不仅要共同生活下去,而且还要共同创造新的文化。
「大和魂(だましい)」の語を源氏物語の中で使った紫式部を、「和魂漢才」の人と評した。晩年、軍国主義的な日本精神とは異なる「大和魂(ごころ)」の再発見の必要性を説いていた。古来、日本独自の伝統を築いてきたのは、「はるかに外に向かって開かれた島国根性」だったのだという視点が痛快だった。
在源氏物语中使用过“大和魂”一词的紫式部被称为“和魂汉才”之人。先生在其晚年曾主张有必要重新认识“大和魂”,它有别于具有军国主义色彩的日本精神。自古以来建立起日本独特传统的是“面对遥远的外部世界,持开放态度的岛国本质”。客观的视角令人心悦诚服。