127年前的那个夜晚,熊本市一带遭到了强震的袭击。由于是在睡梦中来袭,所以很多人被埋在房屋废墟中。自加藤清正筑城以来,以坚不可摧闻名,号称“武者无功”的熊本城石墙也多处出现损坏。
当時の記事をみると人々を不安にさせたのは流言飛語だ。近くの火山で地震の数日前に鳴動を聞いた住民がいた。「地震の次は大噴火だ」。うわさが駆けめぐる。浮足立った人々を落ち着かせようと、巡査が村々に送り込まれた。東京から来た著名な地質学博士が「鳴動しても大事には至らない」と宣言。ようやく収まった。
看了当时的报道,流言蜚语让人们惴惴不安。有居民在几天前听到了附近的火山发出轰鸣声。“地震之后是大喷发。”流言就这样扩散开来。为了让惶恐的人们镇定下来,政府向每个村庄都派出了巡查人员。来自动静的著名地质学博士也宣称“即便发出轰鸣,也没有什么了不起。”好不容易,人们镇定了下来。
死者20人、負傷74人、全半壊400余を数えた。余震が非常に多く年末まで800回も揺れた。これが不安を募らせた。1889(明治22)年のことだ。
那次地震造成20人遇难,74人受伤,400多栋房屋毁损严重。随后而来的余震也很多,到年底,发生了800多次余震。这又引起了人们的不安。这是1889年(明治22年)的事情。
今回の地震で被害が集中したのは、益城町、宇城市、熊本市一帯。明治の被災地と重なる。地震の規模もほぼ同じ。どちらも就寝時に起きて、余震が激しく、お城の石垣を壊した。
在这次地震中,灾害集中在益城町、宇城市、熊本市一带。与明治时期的灾区范围差不多。地震规模也几乎一样。而且都发生在人们睡觉之时,余震也非常强烈,城上的石墙也发生了损毁。
震度7とはどんな揺れなのか。「トラックが家に突っこんだ音」「乱気流にぶつかった飛行機の振動」。過去の被災者の言葉だ。今回、益城町の女性は「地面がぐるぐる回った」と表現した。未経験者の想像を超える。
震度7级是何种程度呢?“声音就如同卡车冲进家里一般”;“就像飞机遇到湍流一般”。这些事曾经遭受过地震的人说的话。而这次,益城町的一位女性说,“地面一层层地转。”这些远超未经历者的想象。
さて、震災という文字は震と災に分けられる。震は地球の営み。人には避けようもない。けれど災なら人の力で減らすことができる。いま熊本の急場は震から災へ。阪神や中越、東日本で犠牲を払いながら私たちが学んだ減災の知恵を総動員するときである。
而震灾这个词,也应该分为震和灾两部分。震是地球的活动,人类是无法避开的。而灾则能通过人力予以减轻。现在的熊本,正在从震转向灾。现在,正是我们将从阪神、中越、东日本地震中学到的经验进行总动员的时候,那些是我们付出巨大的牺牲后学到的。