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有田陶瓷 四百周年

时间: 2016-05-11    进入日语论坛
核心提示:春恒例の「陶器市」が佐賀県有田町で開かれている。熊本地震の影響が心配されたが、客足はまずまずのようだ。按照春日的惯例,陶
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 春恒例の「陶器市」が佐賀県有田町で開かれている。熊本地震の影響が心配されたが、客足はまずまずのようだ。
 
按照春日的惯例,“陶器市”又在佐贺县有田町开幕了。层担心熊本地震会对其产生影响,但客流还算可以。
 
有田焼発祥400年の節目の年である。豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、のちの佐賀藩祖・鍋島直茂が陶工らを引き連れて帰国した。そのひとり李参平が1616年、有田の地で良質な石鉱を見つけ、日本で初めて磁器を焼いた。以後子孫は有田に根を下ろした。
 
今年是有田烧诞生400周年。在丰臣秀吉出兵朝鲜之际,佐贺藩初代藩主锅岛直茂带着陶工回到了日本。其中之一的李参平在1616年,在有田这块地方发现了优质的石矿,于是有了日本史上第一次的烧制。此后,他的子孙在有田扎下了根。
 
14代目にあたる金ケ江(かながえ)省平さん(55)によると、6代目が窯を閉じ、13代目にあたる父が再興した。「初代が日本へ来なければ自分も有田焼も存在しない」というのが父の口癖だった。
 
根据第十四代传人金江省平先生(55岁)说,第六代那会封窑停止了烧制,而第十三代,即他父亲重新开始烧制。“如果第一代人没有来日本,那么无论是自己还是有田烧都不会存在”,这是他父亲的口头禅。
 
跡を継いだ省平さんはこの地で腕を磨く。日韓交流の作陶や展示のため韓国を訪れると、参平の名を知る人はきまって「よくぞ故国へ」と歓迎してくれる。
 
跟随其父亲脚步的省平先生在这片地区锻炼技艺,为了日韩之间制陶交流和展示来到了韩国,知道其名字的人常常都会说“欢迎来到故国”,对他的来访表示欢迎。
 
かと思うと、東京の韓国大使館のそばで「日本から出て行け」と叫ぶ集団に遭遇したこともある。これがあのヘイトスピーチかと驚いた。「ありがたいことに初代は陶祖と敬われ、神社にまでまつられた。これまで日韓がおかしくなったのは秀吉の出兵時と韓国併合の時くらい。ほかは常に友好的だったのに」。
 
刚以为都是如此,但在东京的韩国大使馆附近也遭遇过一些组织叫嚣“滚回日本”的情况。对这种仇恨言论,我感到非常吃惊。“万幸的是,我第一代先祖被尊为陶器之祖,甚至被供奉在神社中。至今为止,日韩关系出现紧张的情况也就秀吉出兵和吞并韩国的时候。其他时候都非常友好。”
 
陶芸に限らず、文字や律令、宗教まで大陸や半島から教わっては磨き上げる。それが日本の歩んだ道である。文化や人種の違いをあげつらい、なにが日本固有で、どれが韓国由来か、まくし立てることにどんな意味があるのだろう。14代目の焼いた皿や瓶に触れ、4世紀にわたる融合の歳月を手のひらで受けとめた。
 
不仅仅是陶艺,包括文字、法令、宗教在内,都是从大陆和半岛传到日本,然后日本将其化为自己的东西。这是日本发展的道路。我们很难举出文化和人种的差异,什么是日本所固有的?什么是来自韩国的?如此激进的话语又有何意义存在呢?亲身感受着第十四代传人所制作的瓷器,手指间感受到了延绵四个世纪的融合岁月。
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