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枪击事件 廿九周年

时间: 2016-05-11    进入日语论坛
核心提示:昨夏亡くなった小尻みよ子さんが俳句を詠み始めたのは息子を失ったのがきっかけだった。朝日新聞阪神支局の記者だった知博さんは
(单词翻译:双击或拖选)
 昨夏亡くなった小尻みよ子さんが俳句を詠み始めたのは息子を失ったのがきっかけだった。朝日新聞阪神支局の記者だった知博さんは1987年の憲法記念日の夜、支局に現れた何者かに撃たれた。
 
去年夏天去世的小尻女士是在她儿子去世后才开始吟诵俳句的。身为朝日新闻阪神支部记者的知博先生在1987年的宪法纪念日的晚上,被出现在支部的嫌犯开枪射杀了。
 
みよ子さんは56歳だった。〈幸福を一しゅんにして谷底に〉。そんな言葉をチラシの裏などに記すようになった。そうでもしないと耐えられなかった。〈声も出ず唯(ただ)夢なれと足すくむ〉。なぜ息子があんな目に遭うのか。答えのない問いが胸でうず巻いた。
 
那年小尻女士56岁。“幸福一下子沉入谷底”。她将这些话语记录在了私人文章中。如果不这样做,悲伤之情就无法忍耐。“声音也发不出,非常害怕做梦”。为什么儿子会遭遇这种不幸呢?在她心中,这一无法回答的问题掀起万丈波澜。
 
〈帰ってよ奇跡おきれば帰ってよ〉。季語はない。切れ字もない。思いをひたすら五七五に落とし込む。〈あれほどに親子どんぶりねだりしに〉〈明日無き身知らずと叱る母の胸〉。悔いの波がいつまでも押しよせた。
 
“回来吧,发生奇迹,回来吧”。俳句中没有季语,也没有结尾词。在五七五共17字的俳句中融入了自己全部的感情。“你是多么想让我做亲子盖浇饭”;“不知明日你将不在,母亲还在斥责你”。悔恨的情绪总是将她压得喘不过气来。
 
毎朝、夫と連れだって墓地に通い息子に語りかけた。「おはようさん、知博さん。きょうは雨が降って冷たいね」「一人で淋(さび)しいね。いまはお母さん何もしてあげられないでごめんね」。墓は瀬戸内海に面した丘にたつ。〈知博に会いに行く道今日も過ぎ〉。
 
每天清晨,她都会在丈夫的陪伴下去给儿子上坟、聊天,“早啊,知博。今天下雨了,有点冷”;“一个人真是寂寞啊。现在的妈妈什么也做不了,抱歉”。其墓在面对濑户内海的山丘上。“走在去见知博的路上,今天也如此度过”。
 
捜査は実らず、無念の時効を迎えた。久しぶりに阪神支局を訪れたときは75歳。息子に招かれた気がした。〈吾子(あこ)の座のソファー白線梅雨じめり〉。倒れた際の頭部の位置に捜査員の引いた線が残されていた。
 
案件的调查毫无进展,最终迎来了失效期。在她75岁那年,她再次来到许久不来的阪神支部。她感觉是她儿子叫她前来。“儿子坐的沙发,画有白线,就像是梅雨的霉斑”。按照知博先生中弹倒下的样子,探员在其头部的位置画上了白线。
 
晩年は車イス生活が長かった。夫に先立たれ、句の数も減った。息子のもとへ旅立ったときは84歳。再会したいま、ねだられなくても、息子の好物だった親子どんぶりに腕をふるっていることだろう。
 
晚年的小尻女士依靠轮椅生活了很久。她先丈夫而去,俳句也很少。84岁的她,踏上了去看儿子的旅途。在再会之际,不用儿子要求,她也会尽心尽力去做儿子喜欢吃的亲子盖浇饭,一定是这样的。
 
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