时隔数年,我再次去了东京•神宫球场观看了职业棒球比赛。击球战非常精彩,但更让我印象深刻的是本垒上的安静、沉稳,没有看到跑垒员和捕手的相互穿插的情况。
今季から走者による体当たりや捕手による危険なブロックが禁止された。ほぼ同じルールを米大リーグが一昨年導入している。本塁での負傷が深刻になり、迫力が売り物の大リーグでさえ安全策に転じた。
从本赛季起,跑垒员的身体冲撞和捕手的危险撞击都被禁止了。去年,美国大联盟也导入了相差无几的规则。由于在本垒位置常常出现负伤的情况,所以连以激情为卖点的大联盟也转向了安全对策。
走塁はいつから激しくなったのだろう。野球ルールの変遷に詳しい松山東高野球部OB会の一色隆士さん(67)は、米国で1世紀前、走塁革命を起こした「球聖」タイ・カッブの名を挙げる。塁上で野手に足払いをかけ、スパイクで野手の手足を踏んだ。「反則ぎりぎりの走塁法。荒っぽい走りが人気を呼んで、野球全体がラフになりました」。
跑垒从什么时候开始变得激烈的呢?熟悉棒球规则变迁的松山东高棒球部OB会的一色隆士先生(67岁)谈到了“泰•卡布”这个名字,一个世纪前,他在美国掀起了跑垒革命,被誉为“球圣”。他在垒位对守备员施展扫堂腿,用钉鞋踩其手脚。“这几乎是一种违背规则的跑垒方法。狂野的跑法吸引了人气,这导致棒球界变得野蛮起来。”
OB会は、同校出身の正岡子規が残した随筆「松蘿玉液(しょうらぎょくえき)」を手がかりに、明治時代の野球規則を調べた。投手は下手投げのみ。ワンバウンド打球も捕ればアウト。ストライクゾーンは打者の申告で動き、盗塁は一切なかった。
OB会以同校出身的正冈子规的随笔《松萝玉液》我线索,调查了明治时代的棒球规则。那时,投手只能低手头球。而如果跳跃击球被逮到,那也会出局。击球位置可以因击球手的要求而调整,盗垒一概没有。
このルールに従い、14年前から近隣のチームと折々に実戦を楽しむ。「やってみると試合はのんびり進む。危険なクロスプレーもない。野球は本来、こんなにのどかなスポーツだったのかと驚きます」。
14年前,常常按照这一规则与邻近的队伍比赛,并乐在其中。“尝试了下,比赛的节奏非常悠闲,也没有危险的穿插行为。棒球,竟然如此悠闲,真是令人大吃一惊。”
子規の随筆の行間からは明治期の球場に響いたはずの選手たちの歓声が聞こえる。過度に興行化され、きわどいプレーがもてはやされる前まで、各国の球場で聞こえた素朴な歓声である。
从子规随笔的字里行间,听到了响彻在明治时期球场上的选手们的欢声笑语。在被过度娱乐化之前,在被当做危险游戏之前,各国球场上听到的都是此类朴素的欢声。