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蜷川幸雄 与世长辞

时间: 2016-06-02    进入日语论坛
核心提示:だれしも若いころは自分の才能を疑う時期がある。あまり売れない俳優兼演出家だったころの蜷川幸雄さんもそうだった。埼玉県川口
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だれしも若いころは自分の才能を疑う時期がある。あまり売れない俳優兼演出家だったころの蜷川幸雄さんもそうだった。埼玉県川口市の団地の玄関先に「蜷川TENSAI」という表札を掲げた。自分を追い込むためである。
 
无论是谁,在年轻时都有怀疑自己才能的时候。演员兼导演蜷川幸雄先生在穷苦潦倒的时候也是如此。在埼玉县川口县住宅区,他在大门口挂上了“蜷川天才”的牌子,其目的是催自己奋进。
 
「天才」の看板をあげれば、さぼるわけにはいかない。映画を見て本を読んで懸命に演出を独学した。ただ、「蜷川天才さーん」と廊下に響く集金人の声にはさすがに赤面したそうだ。
 
虽然挂起了“天才”的牌子,但他没有因此沉迷其中。他看电影,读书,拼命自学导演技艺。但是,面对在楼下大叫“蜷川天才先生”的催租人,他还是感到非常羞愧。
 
高校生のころには油彩画家を夢見ながら、劇場に通った。東京芸大の受験に失敗して画家を断念。劇団の道へ進んだ。「キャンバスに絵の具をたたきつけるより、自分の生理に合っている」と感じた。
 
读高中的时候,他在憧憬成为一名油画家的同时,也去剧院看戏。由于在东京艺术大学考试中名落孙山,所以断绝了成为画家的念头。他感慨说,“相比摆弄油画的道具,这更适合我自己。”
 
 
演劇界の第一線を疾走し続けた蜷川さんが、亡くなった。シェークスピア劇やギリシャ悲劇を日本の美意識に合うよう翻案した。仏壇や石庭、行灯(あんどん)など日本の美を舞台に取り入れ、観客の視覚を圧倒した。
 
坚持奔走在演出第一线的蜷川先生去世了。他为了让莎士比亚戏剧和希腊悲剧融入日本美学意识,对它们进行了改编。他在舞台上加入了佛坛、岩石庭院和石灯笼等日本美学元素,带给观众视觉上的冲击。
 
反骨の人でもあった。暴力団との交流が報じられた歌手が、紅白歌合戦の出場を断念すると、「善も悪も混沌(こんとん)とした芸能を規制、管理するのは容認できない」とNHKを批判。局側は「出場を見送るよう要請してはいない」と説明したが、特別審査員の仕事を降りた。30年前の大みそかのことだ。
 
他也是一位非常有反抗精神的人。被爆出与暴力团体有交集的歌手,对自己参加红白歌大战万念俱灰后,他批判NHK说,“规范、管理善恶原本就是一片混沌的艺术,是无法令人容忍的。”当局对此解释说,“他们并没有要求其退出”,并委任他为特别审查员。那是30年前除夕的事情。
 
創作意欲は衰えず、「回遊魚になって仕事を続けたい」と本紙に語った。自著には「最後まで枯れずに、過剰で、創造する仕事に冒険的に挑む疾走するジジイでありたい」と記した。言葉通り、最晩年まで舞台に情熱を注いだ。
 
他的创作意愿没有丝毫衰退,曾在本报上说,“希望像巡回游走的鱼儿一般坚持工作。”在自著中,他也写到,“希望我成为这样一个老头,奋战到最后,以精力旺盛的状态挑战创造性、冒险性的工作。”正如他所说的那样,他一生的热情都倾注在了舞台之上。
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