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核弹轰炸 核能发电

时间: 2016-06-02    进入日语论坛
核心提示:1951年、京都大学の学生たちが各地で「原爆展」を開いた。連合国軍総司令部が、原爆の情報を厳しく統制していた時代。警察の
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1951年、京都大学の学生たちが各地で「原爆展」を開いた。連合国軍総司令部が、原爆の情報を厳しく統制していた時代。警察の妨害を受けながらも被害の全体像を多くの人に初めて示したと、小畑哲雄著『占領下の「原爆展」』にある。
 
1951年,京都大学的学生在全国各地举办了“核爆展”。在那个时代,联合国军司令部对有关核爆的信息有着严格的管理。虽然这次展览受到警察的诸多妨碍,但还是有很多人第一次看到了核爆受害情况的全貌,小田哲雄在其著作《占领下的‘核爆展’》中如此写到。
 
被爆し、皮膚が垂れ下がった人たちなどを丸木位里(いり)と妻俊(とし)が描いた「原爆の図」や、ケロイドの写真、放射線被害の実態などが、展示された。最後のパネルには、こうあった。「新しいプロメテの火を、原爆から解放して平和と人類の幸福のための炬火(きょか)とせよ!」。
 
丸木位里和妻俊在“核爆之图”中描绘的皮肤松弛下垂的受害者,克罗伊德的照片以及辐射受害的真实状况都出现在了展览上。在最后一块展板上,写着这样一段话。“希望从核爆中解放出新的普罗米修斯之火,成为给人类带来和平与幸福的之火”。
 
ギリシャ神話のプロメテウスから与えられた火のように、原子力を人類に役立てたいという願いである。戦後の日本は「核の平和利用」の名のもと原発建設へと進んだ。被爆国としての経験は歯止めにならなかったばかりか、推進の一端も担った。そして3・11を迎えた。
 
就如同希腊神话中普罗米修斯带给人类的火种一般,希望核能也能服务于人类的进步。战后的日本在“和平利用核能”的名义下,推动了核电站的建设。日本作为受害国,非但没有任何阻挠,而且还为发展核能极尽所能。于是,发生了3•11事件。
 
オバマ米大統領がきょう、広島を訪問する。核兵器がいかに非人道的か、どうすれば核の廃絶に向かえるか、考える日にできれば。しかし、福島の原発事故を経験した日本は、もう一つの核を避けて通れない。
 
今天,美国总统奥巴马将对广岛进行访问。核武器究竟有多残忍?如何才能废弃核能?希望这天能成为思考这些的日子。但是,经历福岛核电站事故的日本,却对另一种核能束手无策。
 
〈どうなるか判(わか)らぬ原子の手当(てあて)にも薬はあらじ心あせるも〉石井政男。原爆にさらされた人を手当てできない悔しさがにじむ歌だろう。原発事故の処理が思うようにいかない日本の姿が、重ならないか。廃炉は難航し、わが家にまだ帰れない多くの人がいる。
 
“手足无措,核爆如何治,令人心焦”,石井政男如此吟道。这首和歌表达了对遭受核爆的人们无能为力的悔恨之情。没有按照预定计划处理核电站事故的日本,不也是如此吗?废炉行动举步维艰,还有很多人难以回到自己的家中。
 
広島への訪問で原発が語られることはおそらくないだろう。だからこそ語りたい、考えたい。
在奥巴马对广岛的访问中,应该不会谈及核能吧。正因为如此,才希望大家去说,去想。
 
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