美国大联盟出生的罗斯氏在日本棒球界也打了13年的比赛。在近铁时代,他打出了55次本垒打,与王贞治氏并驾齐驱。人们依旧记得他那出色的表现。
だが、大リーグの先輩ピート・ローズ氏(75)は最近、米紙USAトゥデーで酷評した。「彼は日本で本塁打55本だが、米国じゃさっぱりだった。米国では花開かず、日本で有名になった選手は何人もいる」。
然而,大联盟的前辈罗彼得氏(75岁)最近在美国报纸《今日美国》上对他进行了严厉的批评,“虽然他在日本打了55次本垒打,但是在美国却表现地非常糟糕。有很多选手在庸庸碌碌,但在日本却是风生水起。”
ずいぶんな物言いだが、これには訳がある。ピート氏の誇る4256本の米最多安打記録が、イチロー選手の日米通算安打に破られそうになっているからだ。「日本の野球が大リーグと同等だと言い切る人はいない」と日米の安打を足すことに異議を唱える。米球界全体にも日米合算の記録に高揚感はあまりないようだ。
这是一场异常激烈的争论,但还是有其原因的。彼得氏引以为豪的4256次安全打创下了美国的纪录,但这一纪录却被一郎选手的日美两地安全打总和打破了。“没有人会认为日本棒球等同于大联盟”,他对日美安全打合计表示了不认同。美国棒球界似乎也对日美合计的纪录不怎么感兴趣。
ピート氏に論争をいどむつもりはないが、逆に日本でさえなかった大リーガーだって挙げれば何人もいる。1997年、阪神に入団したグリーンウェルは春先の7試合のみで帰国した。ソフトバンクの投手ペニーはわずか1試合64球で退団。古くは巨人のトマソンがあまりの三振の多さに「扇風機」とあだ名された。
在此,我没有任何想和彼得氏争辩的打算,但反过来说,也有很多大联盟选手在日本根本就没怎么打过球。1997年,加入阪神队的格林乌鲁仅在春季赛季打了7场比赛就回国了。软银队的投球手贝尼仅仅在打了一场比赛,投了64次球就退团了。以前的巨人队的托曼因为多次三振出局(击空三次)而得到了“电风扇”的绰号。
「日本の野球はもっとおおらかでいいし、米国のベースボールは緻密(ちみつ)さに欠ける」(石田雄太著「イチロー・インタヴューズ」)。自らそんな風に語った両国でイチロー選手は一線を駆け続けてきた。
“日本的棒球还要更加放开些,而美国的棒球则缺少细致。”(石田雄太著《一郎•面谈》)曾如此评价两国棒球的一郎选手曾不断奔走于比赛的第一线。
在米15年、走攻守いずれを見てもとても42歳に達したとは思えない。合算しようとしまいと、その活躍に米国のファンたちも称賛を惜しまないだろう。
在美15年,他肯定没有想到能在游走、攻击、防守的转换中服役至42岁。在对他棒球生涯的成就进行合算后,就连美国的球迷也丝毫不吝惜他们的赞赏之情。