1987年,专栏作家中野翠先生在《每天周日》中写到,“在今天,‘孩子’是圣域中的生物了”。字里行间充满着嘲讽。明星艾格尼丝把孩子们带到电视台的拍摄现场,所以他写了该文以为批判。
大人の世界を大切にしたい中野さんはアグネスさんの行動が納得できない。なのにマスコミは持ち上げる。「今や『子ども』は『平和』『健康』と並んで、現代日本の三大神様――けっして相対化されることのない絶対的正義になっていたのだ」と、書いた。
慎重对待成人世界的中野先生无法理解艾格尼丝的行为。然而,媒体却对其大肆宣传。“当下,‘孩子’同‘和平’、‘健康’一起,是现代日本的三大神仙……绝对不能将其相对化,这已成为现今绝对的正义了”,他事后写到。
「アグネス論争」と呼ばれた激論の一端である。古い話を持ち出したのは、最近は聖域ではなくなったかという気がするからだ。
这是被称为“艾格尼丝争论”的激烈辩论的一幕。之所以重提旧事,是因为现在的人们漠视圣域的情绪。
「住民との調整」が理由で、保育所の開園が延期・中止になる例が出ている。朝日新聞が全国の主要な82自治体を調べたところ、7自治体13園でそうだったという。「子どもの声でうるさくなる」ことや交通量の増加などを理由に反対される。迷惑施設のように扱われているなら悲しい。
以“和居民协调”为理由,托儿所开业延期或暂停的例子正在出现。朝日新闻调查了全国主要82个自治体,发现7个自治体共13所托儿所出现此类问题。“觉得孩子非常吵闹”以及交通量加大,是其反对的理由。如果把其当做令人麻烦的设施来处理,那就太可悲了。
中野さんは、アグネスさんが本気で託児所を求めるなら「まず自分の会社で実現してみたらどうか」とも書いた。見回せば、企業が託児所を持つのはそう珍しいことでなくなった。自治体も、保育施設の確保に懸命に取り組む。
中野先生还写过,艾格尼丝如果真的想建托儿所,“首先是否可以在他自己的公司实现呢”。回顾周边,企业自带托儿所并不少见。自治体也要想尽一切办法确保育儿设施的建设。
しかし施設や制度を支える私たちの心持ちはどうだろう。仏をつくっても魂が十分入らないのは寂しい。いや、魂がなければ仏づくりはままならないと言うべきか。
但是,我们支持设置和制度的心绪又是如何呢?建佛却没有尽心,是毫无意义的。如果没有全身心的投入,那么结果也必然不如意。