“上を見る”是商业用语,其意思是“夸大”。比如,原本价值10日元的商品卖12日元。在相声《南瓜店》中,店主将南瓜交给年轻人,并说“上を見て売ってこいよ”(夸大价格去卖)。所以年轻人仰头望天,按照原本的价格把南瓜卖掉了。
勘違いは落語の定番だ。しかし、こちらの勘違いはどうにも笑えない。「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」。リオ五輪の代表選手団の壮行会で、あいさつをしたのは森喜朗?2020年東京五輪組織委員会会長である。
会错意是相声必不可少的内容。但是,这个会错意却让人无论如何也笑不出来。“大家排好队齐唱国歌,怎么样?”在参加里约奥运会的代表团饯行会上,2020年东京奥运会组织委员会会长森喜朗如此说到。
直前にあったのは、君が代の「独唱」で、みんなで歌う「斉唱」ではない。森氏は段取りを知らなかったのだろうか、動画で見るとずいぶん不機嫌そうだ。
而在这之前才提过的是并非大家“齐唱”,而是“君之代”的“独唱”。森氏知不知道自己断章取义了呢?我看到了这段影像后,感到很难受。
もっとも、それ以外の発言は勘違いでなく本心だろう。「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。求める選手像を上から押しつけるような言いぶり。選手たちの士気があがったとは、とても思えない。
抛却这次发言不说,之前的都是讲出了自己的本意吧。“不唱国歌的选手不是日本的代表。”此类的话语如同命令一般,要求选手必须按照其要求行事。我并非认为这会鼓舞选手们的士气。
仏文学者の蓮實重彦氏が一昨年の本紙で、日本代表が精彩を欠いたサッカーW杯を語っている。「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツがスポーツ以外のものに変化していくか……何とも陰惨なW杯でした」。むしろ選手も見る側もゲームそのものを楽しもうと。
法国文学学者莲宝重彦氏前年在本报上谈到了日本代表队表现不佳的世界杯,“他们背负着国民和国家的期待,对他们而言,体育绝不是纯粹意义上的体育了……世界杯是多么的恐怖啊。”与其如此,我倒希望无论是选手还是观众都能乐在其中。
スポーツでも他の分野でも、国を背負わされることで失われる豊かさがあるのではないか。祭典まであと1カ月。国家や国境はともかく、ひとつひとつの競技を楽しむことに重きを置きたい。
无论是体育还是其他领域,一旦涉及国家,那么就会失去很多内在的东西。距离奥运会开幕还有1个月了。让我们把国家和国境线抛在一边,注重享受这个人竞技的盛典吧。