电影《爱丽丝梦游仙境》正在上映,其原著作者路易斯的本职工作并非是文学,而是数学,尤其是在选举研究中投入了大量的精力,讨论过理想的国会议员的选举方式。
「国会には多数者と少数者の両方の視点が反映されるべきだ」。理念に加え、投開票の仕組みも考えた。「全投票所が閉まるまで開票結果の先行発表は控える」というルールはいまも有効だ(ウィルソン著「数の国のルイス?キャロル」)。
“国会应能反应多数派和少数派两方面的观点。”在这一理念的基础上,还要考虑投票、开票的形式。“全部投票点都要封闭起来,以此控制其抢先发布开票结果”,他所写的这一规则至今依然有效。(威尔森著《路易斯的数学国度》)
参院選が与党の圧勝で終わった。開票の様子を見ながら、キャロルの懸念を思った。与党が衆参両院でこれほど大きくなれば、少数者の声がかき消されてしまわないか。とりわけ多数派の視点だけで押し切ってはならないのが憲法の問題だろう。
参议院选举以执政党的压倒性胜利而结束。看着开票的样子,我想到了路易斯的担忧。执政党在参众两院势力大涨的话,那么少数者的声音会不会被埋没呢?尤其是不能仅凭多数派的观点就蛮干到底的宪法问题。
3年前の参院選の直後、麻生太郎副総理の口から暴言が飛び出した。「改憲は狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。ある日気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうかね」。すぐ撤回したとはいえ、本音だったのだろうと今も思う。
三年前的参议院选举后不久,副总理麻生太郎信口雌黄地说,“我不希望修宪在一片狂躁制之中决定。魏玛共和国的宪法就是在人们不知不觉中变成纳粹宪法的。我们学下这招怎么样?”虽然他马上收回了其发言,但是至今想来觉得这是他的真心话。
選挙戦で安倍晋三首相は憲法改正の議論から逃げた。この自分が「改憲」を言わないかぎり、「狂騒、狂乱」の嵐は起こるまい。そんな腹づもりだったならば、この展開はまさに麻生氏の戦略通りではないか。
在选举战中,安倍首相逃避了修宪的讨论。只要他本人没有言及“修宪”,那么“狂躁”的暴风雨就不会产生。如果他打的是这个算盘,那么这一发展过程不就按麻生氏的战略在进行吗?
自民党が1955年に結党されて以降、これほど憲法改正が現実味を帯びたことはない。私たちの社会が将来に向けて残すべきものは何か。問われるのはこれからだ。
自民党自1955年成立以来,从没有像今天这般赤裸裸地进行修宪。我们的社会在未来还剩下些什么?现在正是质问的时候。