对于他不参加选举,我感到佩服,说起来还真是奇怪的事情。今天迎来通告的东京都知事选举中,前总事务次官樱井俊(62岁)干脆利落地拒绝自民党党的再三要求其出马的请求,此情此景令人动容。“我没有出马的打算”;“我不是这块料”。其姿态是一贯的,坚决的。
人気グループ嵐のメンバー櫻井翔さん(34)の父である。自民党が秋波を送ったのは、霞が関での活躍や清廉なイメージもさることながら、翔さんの人気に目をつけたからである。
他也是人气团队岚的成员樱井翔先生(34岁)的父亲。自民党之所以频送秋波,其在霞关的活跃和清廉形象自不必言,还有出于翔先生的人气的考量。
ご本人は誘いに乗らない。「出馬したら政治報道で取りあげられる。そうなればテレビでキャスターの仕事に打ち込む息子の邪魔になる。親のすることじゃない」。親しい人にそう打ち明けたと聞いた。
他本人没有答应。“如果我出马,那么我就会上政治报道,如此一来,会对成为电视主持人的儿子的事业造成影响。这不是父亲应该做的事情。”我听闻他曾经如此对亲友说。
有権者の立場で考えても「子の七光り」擁立には違和感を覚える。有名タレントの父だからとその集客力を集票にあてこむのは、有権者の選ぶ力を低く見ているからだろう。ご本人の実績を思うと非礼でもある。何より都政の課題を軽んじていないか。
从选民的立场来看,因“其子的光环”而选他也存在着某种违和感。正因为其父亲非常有能力,所以以这份吸引人的能力来吸引选票,不也是小看了选民的选择能力吗?想到他本人的实际成绩,这也是一种侮辱。最为重要的是,这不就是在小看东京都政务吗?
有名人であることがいかに空しいか、先週亡くなった永六輔さんが自著「無名人のひとりごと」に書き残した。「有名になってしまったことで、どれだけ人間としてマイナスになっているか(略)気が付いていない」。あえてテレビに背を向けた人の指摘は重い。
名人一词是多么的空洞呢?上周去世的永六辅先生在自传《无名的一人》中如此写到,“最后还是出名了,作为人类,我将变得多么负面?我对此毫无察觉。”不看电视的人的批评反而更有分量。
有名な作家、次いで有名な評論家が任期の途中で都知事室を去った。都政のかじ取り以前の問題でつまずいた。今回こそ知名度に目を奪われず、政策、情熱そして金銭感覚に目を凝らしたい。
先是有名的作家,接着是有名的评论家,他们在自己的职业生涯里,黯然离开了东京都知事办公室。他们因为领导政务问题而倒台。所以,这次不能再为知名度所迷惑,让我们紧盯候选人的政策、热情以及金钱观吧。