这一巨大的建筑物被称为“石棺”。混凝土覆盖了30年前发生事故的切尔诺贝利核电站4号炉。因为无法取出燃料,所以将其封闭起来。这一词语,以这种形式听到真是始料未及。
福島第一原発の廃炉を支援する国の機関がつくった文書に「石棺」の文字があったことが問題になった。溶け落ちた燃料を取り出すことを前提としつつも、将来の選択肢として否定しないかのような書きぶりに、自治体から批判が出た。
在支援福岛第一核电站废炉的国家机关所写的文书中,出现了“石棺”字样,并引发了问题。虽然其以取出融化的燃料为前提,但是这种表达方式不就是等于说否定了这一未来选项吗?自治体对此提出了批判。
福島県の内堀雅雄知事は「石棺方式は復興やふるさとへの帰還をあきらめることにつながる」と強く反発した。機関は「誤解を招く表現だった。石棺方式を検討してはいない」として「石棺」の表現そのものを文書から削ってしまった。
福岛县的内堀雅雄知事表示了强烈的反对,“石棺处理方式等同于放弃了复兴以及回归故乡”。而相关机构表示说,“这招致了误解。我们将不会讨论石棺处理方式”,并且从该文书中删去了“石棺”这一表达方式。
地元への配慮が足りなかったとは思うが、言葉を消せばいいというものではなかろう。事故から5年が過ぎても、燃料を取り出す方法すら、決めるのはこれからだ。封じ込め策を使わないと今から言い切れるのだろうか。
我认为其没有充分考虑到地方的立场,这并非是删除文字就能解决的事情。虽然事故已经过去了5年,但是谈到取出燃料的方法,所要决定的事情才刚刚开始。现在就断言不使用封闭政策,真的合适吗?
改めて廃炉という事業の困難さを思う。本紙福島版には毎週、作業記録「廃炉はいま」が載る。汚染水漏れや作業員のけがなど、現場が直面する現実がある。廃炉まで数十年かかるとされる道のりは、きょうこの日も続いている。
此外,我还想到了废炉作业的困难。在本报的福岛版报纸上,每周都会登载作业记录“废炉进行时”。其中既有污染水泄漏,也有作业员的受伤情况,还有直接现场的直播画面。漫漫几十年废炉之路,今天仍在继续。
全国に目をやれば、40年で原発をたたむルールは骨抜きになりつつあり、再稼働手続きは淡々と進む。戻りつつある「日常」と、終わらない「困難」。その隔たりはあまりに大きい。
环顾全国,在40年内关闭核电站的法令显得苍白无力,重启核电站的程序正在缓步推进。正在回归的“日常”,没有结束的“困难”。这一障碍,实在太过巨大。