位于神奈川县西北部地区的障碍人士疗养院“津久井天香百合园”是在1964年(昭和39年)开门营业的,那年也是东京奥运会之年。它东临高尾山,与相模湖也相去不远。
園で36年働いた元職員太田顕さんの著書「一所懸命」によると、開園当初は、入所者を連れて外へ出ると視線をそらされた。時がたち、園から迷い出た入所者を住民がお茶でもてなし、迎えの職員を待ってくれることもあった。
根据在该院工作了36年的原职员太田显先生的著作《一地拼命》中说,在刚开门的时候,带着院内障碍人士外出时会遭遇异样的目光。如今时过境迁,现在每当居民遇见在院外迷路的入住者,会给他们倒水,还有人会等待前来迎他们的员工。
太田さんのまなざしは温かい。切手をはがす単純な作業を黙々と続ける我慢強さに感心した。所内作業のできばえや手際で入所者に優劣をつけようとする自分を反省した。健常者である自分の内にある差別を恥じた。
太田先生的目光是温柔的。默默地做着剥下邮票这一单纯工作,从中我感受到了他非常具有耐心。他对自己在院内工作的时候用绘画和技巧区别入住者优劣的做法做了反省。作为一个健全人士,他为自己的歧视行为感到羞耻。
「大声で叱り、己の感情を統制しきれず(略)思わず手を振り上げた」。入所者の訴えを無視したこともある。指導する立場ながら、むしろ入所者とのふれあいから学ぶ日々だった。
“大声叱喝,无法抑制自己的感情,不自觉地举起了手”,也曾发生过此类无视入住者要求的事情。虽然我站在指挥的位置,但每天从与入住者的接触中,也学到了很多。
その園で入所者19人もの命が奪われた。逮捕された元職員(26)は園で何を学んだのだろう。「障害者なんていなくなればいい」という言葉は常軌を逸している。あこがれた学校教員になれず、悔しさを暴発させたか。それでも園で働いた間、入所者の笑顔に胸を温められた日はあったはずだ。仕事に誇りを感じる機会も皆無だったとは思いがたい。
该院的19条生命被夺走了。被捕的前职员(26岁)在院内又学到了些什么呢?“最好没有残疾人”,他的话语脱离了令人震惊。由于没有成为其所憧憬的学校老师,宣泄自己的悔恨吗?即便如此,在院内工作期间,也应该有从入住者的笑颜中感受到温暖的日子吧。我不认为每一项工作都会有让人感到自豪的机会。
園内の居住棟にはひらがなの名が付されている。男性区画はのぞみ、いぶき、つばさ、すばる、みのり。女性用はゆめ、はな、にじ。職員と入所者が支え合って築いた半世紀の静穏が一夜で崩れ去った
院内的住宅楼挂着用平假名写的名牌。男性区域有“のぞみ”(望)、“いぶき”(伊吹)、“すばる”(须原)、“みのり”(实)。女性区域则是“ゆめ”(梦)、“はな”(花)、“にじ”(虹)。职工与入住者一起构筑起的半个世纪的安稳在一夜之间崩塌了。