描绘的是战前昭和时代的恐慌吧。诗人吉田嘉七写到,“银行倒闭……”。“薪水下降,东西卖不出去……街上充斥着大人们灰暗的表情”。而改变这一局面的是发生在大陆的战火。
1931年の満州事変である。「物がぼつぼつ上(あが)り出し 景気が良くなって来たらしい」。軍事費が増えたおかげだろうか。「戦争が始(はじま)って良かったね」という大人たちのつぶやきが、中学生である自分たちの耳にも入った。「やがて戦争で殺されるぼくらの」耳に。
这就是1931年的满洲事变。“物品不断被生产出来,经济景气似乎来到了”,或许这是军费增加的缘故吧,“开始打仗了,真是太好了”,大人们的咕哝声,传到了还是中学生的我们的耳中。有个声音对我说,“不久我们就要被杀死了”。
古山高麗雄(こまお)の「日本好戦詩集」から孫引きさせてもらった。戦争は望まれずに始まったわけではないと、改めて気付く。倒産や失業にあえぐ世には、朗報でもあったと。
上述内容我引用自古山高丽雄的《日本好战诗集》。读了这些后,我重新认识到战争并非是突然爆发的。对于挣扎于倒闭和失业中的社会而言,这无疑使喜报。
満州の戦火から日中戦争へ。さらに米英との戦争が始まると、別の熱狂があった。41年の真珠湾攻撃の日のことを、彫刻家で詩人の高村光太郎が感激して書いている。「世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである」(「十二月八日の記」)。
满洲的战火演变成了战争。由于与美国、英国开战后,人们变得更为狂热。雕刻家、诗人高村光太郎激动地记述下了41年珍珠港偷袭那天的情况。“世界为之一新。时代在今天发生了巨大的转变。昨天已经是遥远的过去了。”(《十二月八日之记录》)
同じアジアの中国に刃を向けることの後ろめたさが、知識人にはあったとも言われる。世界を牛耳る米英に挑戦するという大義名分は彼らの心に響いたのか。
有知识分子对向同为亚洲国家的中国开战抱有愧疚。但是挑战世界强国美、英的大义名分让他们慷慨激扬,或许就是这样吧。
先の戦争がいかに悲惨だったかを語り継ぐ。それだけでなく戦争がうれしいものと受け止められたことも記憶したい。戦争は上から降ってくるのではなく、ときに私たちの足もとからわき出てくるものだから。
上次那场战争是何等的凄惨,我们不断在讲述着。除此之外,我希望我们也能记得战争所引发的喜悦只能是饮鸩止渴。战争并非从天而降,有时是从我们的脚下涌出来的。