这绝非是为反战而写的文章,而是歌颂士兵们的勇敢。即便如此,读了描绘日俄激战的记录文学《肉弹》(樱井忠温著)之后,我感觉到了战争上的残酷。活着的士兵踏着无数我方阵亡将士的遗骸前进,我似乎看到了这样一幅场面。
機関銃になすすべもなく倒れる兵がいる。砲車に潰される兵がいる。こちらの爆弾で絶命する敵がいる。実際の表現はどこまでも具体的で、臭いまで伝わってきそうだ。
有的士兵倒在了机枪面前。有的士兵被大炮炸碎。也有敌人被我方炸死。其写实镜头非常具体,甚至让人感受到了当时的氛围。
生き残った将校が書き、明治後期に出版された。当時も多様な受け止め方をされたようだ。戦中も人権擁護を貫いた弁護士の海野普吉(うんのしんきち)は、この本から戦争の悲惨さを学んだと、いくつかの評伝にある。
幸存下来的将士写下了当时的情况,并在明治后期出版。在当时,人们展现出了各种不同的接受方式。在战时也贯彻尊重人权的律师海野普吉先生从这本书中了解到了战争的残酷,并留下了诸多的评论。
一方で肉弾という言葉は、その後の戦争で兵士を称揚するスローガンとして使われた。戦場の残酷さをかみしめることと、そこに英雄を見ることは、背中合わせなのかもしれない。
一方面,肉弹一词在此后的战争中被作为歌颂士兵的口号而使用。感受到战场的残酷以及从中看到英雄,或许这是两个截然不同的视角吧。
作家の保阪正康さんが、特攻機の整備兵だったという老人のことを述べている。突然訪ねてきた彼が語ったのは、飛び立つ日の特攻隊員の姿だった。失神する、失禁する、泣きわめく。きれいなことを言って飛んでいった人もいたが、ほとんどは茫然自失(ぼうぜんじしつ)だった。「それを私たち整備兵が抱えて乗せたんです」(『戦争と天災のあいだ』)。
作家保阪正康先生讲述了一位曾是特工队后勤兵的老人的故事。突然来拜访他的这位老人,讲述的是出发当日特工队员的样子。有人失神,有人失禁,也有人放声痛哭。当然也有讲着漂亮话出发的人,但大部分都处于茫然自失的状态中。“是我们这些后勤人员抱着他们上飞机的”。(《战争与天灾之间》)
長く胸にしまっていた証言であろう。戦争を語れる人がだんだんと他界し、私たちはいずれ記録からしか学べなくなる。見たいところだけを見ることもできる。でも、それでいいはずはない。
这些证词永久的留在了我的心中。还能讲述战争的人陆续离世,我们只能从记录中知道这些。有时我们能看到我们想看到的部分。但是,这样绝对不行。