选手们的目光已经对准了2020年。在女子乒乓球团体赛中仅获得铜牌的伊藤美诚选手说,要在东京奥运会上获得颜色更为靓丽的奖牌。在男子体操团体赛中获得金牌的白井健三选手说,要在东京获得更为优异的成绩。似乎还有一位不是选手的人也存在类似想法……。
マリオに扮した御仁である。リオ五輪の閉会式に安倍晋三首相が突然登場して、「4年後の東京」をもり立てる輪に入った。自民党の総裁任期は18年に満了し、そのときはもう首相ではないのだが。
这位仁兄扮成了马里奥。在里约奥运会闭幕以上,安倍晋三首相突然出现了,“四年后的东京”的字样环绕其周围。自民党的总裁任期到18年就届满了,那时他也不是首相了……。
あるいは党則を変えて続投したいとのメッセージかもしれぬ。自民党の二階俊博幹事長は、首相が五輪を自分の手で成功させたいという意欲の表れではないかと聞かれ、「それはそうだ。意欲がなければ行かない」と述べた。だとすれば、五輪の政治利用ではないか。しかも内向きの。
或许他在此传达了改变党内规则,继续干下去的意愿。有人为此询问了自民党干事长二阶俊博,首相此举是否意图表达是他促进了奥运会的成功申办呢?他回答说,“的确如此。首相有类似想法。”如果是这样的话,那么他不是把奥运变成了政治工具了吗?而且又是如此的暗示。
どこかで見たような光景だ。G7伊勢志摩サミットで安倍首相は「世界経済のリスク」を強調、リーマン・ショックの轍(てつ)を踏むなと訴えた。突然の危機説にみんな驚いたが、どうも消費増税延期の口実だったようだ。
这幕场景有种似曾相识的感觉。G7伊势志摩峰会上,安倍首相强调“世界经济的危机”,呼吁不要重蹈雷曼冲击的覆辙。大家惊讶于这突如其来的危机言论,实际上却成为了其延期增加消费税的口实。
「立っている者は親でも使え」とのことわざがある。用を頼むときの言い訳である。安倍首相流は「そこにあるなら国際舞台も使え」だろうか。ある種の合理主義かもしれぬ。
有句谚语是这样的,“为达目的,利用一切。”这通常作为有需求时的借口。安倍首相之流或许就是“有需要求时,国际舞台也敢利用”。或许这也是某种合理主义吧。
ロンドン五輪への引き継ぎでは、サッカー選手のベッカム氏が登場した。リオはサッカーの英雄のペレ氏。そんなスーパースターのように首相が思われていると、世界に誤解されなければいいが。
在北京奥运会交接给伦敦奥运会时,出场的是足球选手贝克汉姆。里约则是球王贝利。而这次首相如同超级明星一般出场,我想世界不要误解就好。