去年在日本公映的中国电影《唐山大地震》实际上描绘了两场地震。在1976年袭击河北省唐山市的地震中生别的姐弟,最后在2008年四川大地震的救援现场重逢了。
英題は「アフターショック」。余震とも余波とも訳しうる言葉だが、映画では余震の場面はごく短い。当然のことながら、余震とは(1)本震の後に来る(2)本震ほど激しくない、という前提で描かれている。
英文名是《After Shock》(后来的冲击)。该词被解释为余震、余波,但在电影中,余震的场面非常短。这并没有什么奇怪的,所谓余震(1)就是在本震之后发生的地震,其程度没有本震(2)激烈,其定义就是基于这一前提之下。
それはおそらく今春まで多くの国で常識だっただろう。覆したのは熊本地震である。「あとは余震だから大したことはない」と信じた人々が避難先から自宅へ戻り、その後に来た「本震」で命を落とした。
在今年春天之前,这或许在很多国家都是常识。而熊本地震的发生造成了颠覆性的影响。相信“此后发生的只是余震,没有什么大不了”的人们从避难处回到自己家中,并在随后而来的“本震”中丧命。
「あとに起きた地震こそが本震だった」と気象庁は説明したが、にわかに信じられなかった。その気象庁が先週、今後は注意喚起にあたり「余震」という言葉を使わないと発表した。「最初より大きな揺れは来ないと受け止められる」との理由だ。今後は「最初の地震と同規模の地震に注意」といった呼びかけ方に改められる。
虽然气象厅对此进行了说明,“后来发生的地震才是本震”,但是绝少有人相信。针对此情此景,气象厅在上周,为了在今后唤起人们的注意,在公布的信息中没有使用“余震”一词。其理由是“人们无法接受比后来的地震比最初的还要剧烈的这一事实”。今后,它将改用“注意将发生与最初地震同等规模的地震”的称呼方式。
過去563回の内陸地震を調べると、後続の揺れの方が大きい例が6%あったという。最初の揺れが最も強いか否か「発生直後に見極めることは難しい」。報告書の率直な言葉が悲しい。専門家たちの苦悩を想像する。
有人调查了过去发生的563次地震,后续发生的烈度更大的例子据说只有6%。最初的地震是否最强,“在发生后马上判断是极为困难的。”报告书上直白的言语令人绝望。我在此可以想象专家们的苦恼。
全国どの地域がいつ被災地になるかだれにも予測ができない。いったん大きな揺れがあればあとは収まると安心すらできない。科学の限界を地震国に暮らす者として素直に受け止めたい。
没有人能预测将来在哪里会成为灾区。即便哪里发生大规模地震,也不能保证随后就能高枕无忧。作为生活在地震国度的人,希望我们能坦率地接受科学的有限性。