如果把从古至今的人类历史比作一天的话,那么二战开始于23点58分58秒。在此之前世界上没有战争。只要全人类都往这个方向上努力,战争就一定会灭绝。
そう訴えて101歳まで走り続けたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが亡くなった。戦争の愚や人生の妙を縦横に論じ、味わい深い箴言(しんげん)を残した
怀着这种希望的记者武野武治在走完自己101年人生之后去世。他深刻讨论了战争的愚蠢与人生的美妙,并留下了许多意味深长的箴言。
「終点にはなるだけゆっくり遅く着く。それが人生の旅」「死ぬ時そこが生涯のてっぺん」。1日長く生きれば1日何か感じられる。老いをくよくよ嘆かず、人生を楽しもうと呼びかけた
“尽可能慢一点到达人生终点。这就是人生”“只有在死亡的时候才到达生涯的顶端”。活着一天就要尽可能享受一天。他呼吁人们不要忧心感叹衰老,要享受人生。
終戦を迎えた日、自身の戦争責任をとりたいと朝日新聞社を退社した。反骨のジャーナリストと慕われたが、「反骨はジャーナリズムの基本性質だ」と原点を見失いがちな後輩たちを戒めた
在终战纪念日那天,武野先生为了负起自身的战争责任而辞去朝日新闻的工作。人们十分钦慕武野先生作为记者身上的那种反骨精神,但是老先生却告诫我们这些容易忘记初心的后辈们说:“反骨精神是作为记者的基本素养。”
戦中の新聞社であからさまな検閲や弾圧など見なかった、危ういのは報道側の自主規制だと指摘した。「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える。検閲よりはるかに有害だった」。彼の残した言葉の良薬は昨今とりわけ口に苦い。お前は萎縮していないかと筆者も胸に手を当てる
战争时期新闻社里并未出现对新闻通稿明目张胆的审查和压制。他指出,最危险的我们记者自己给自己加上审查规则。“为了不引起权利祸端或是问题而将自己的文章加上审查。这种行为比他人审查更有危害性。”他留下来的如良药般劝诫的话语至今仍历历在耳。我常常扣心自问,你会对这种行为退缩吗?
「ボロを旗として」「定本雪と足と」「希望は絶望のど真ん中に」。著作を貫く一徹さは特筆に値する。沸き立つときも沈むときも集団に流されやすい日本社会で、揺れのないその言葉は何より頼もしかった。ふるさと秋田で30年筆をふるった新聞「たいまつ」の名そのままに、戦争絶滅の願いに全身を燃やし続けた。
《以残缺为旗帜》《定本雪与足》《希望就在绝望中》,他的著作所贯彻的思想每一个都值得特别书写出来。日本社会在沸腾忘我亦或是消沉暗淡时候都极易走向从众,但是武野先生毫不动摇的话语在这个社会里却比任何事物都值得依赖。他在故乡秋田创办报纸《火炬》,笔耕不辍30年,正如报名所反映的那样,他一身都致力于实现反战的希望。