漫步在广岛市街头,扑面而来的是鲤鱼队时隔四分之一获得大联盟冠军的场面,兴奋笼罩着街头。在百货店,摆满了以鲤鱼为名的烧酒和仙贝(点心)。就连一贯以蓝色作为招牌颜色的罗森也作出了改变,位于球队主场马自达体育场附近的店铺从好多年前就把色彩改成了队伍的颜色——红色。
チームが誕生したのは1949(昭和24)年。原爆投下で「草木も生えない」とさえ言われた土地で、住民を大いに勇気づけた。親会社を持たない「市民球団」として発足した。
该队组建于1949年(昭和24年)。在这片因核爆而被称为“寸草不生”的土地上,其给了居民巨大的勇气。没有母公司的“市民球队”就这样出发了。
しかし初年度から資金難でリーグ加盟金の支払いに困り、選手の給料も遅配した。雨で試合が流れると入場料が入らず、寮での夕食に選手たちは一皿のおかずを分け合った。初シーズンは最下位で終わった。
但是,从第一年度开始,就因为资金困难而对大联盟加盟费一筹莫展,甚至还拖延选手的工资。遇上因为下雨而导致比赛取消的情况,他们连入场费也收不到,在宿舍,选手们分吃一盘晚饭。第一个赛季,他们以最后一名而告终。
すぐに解散話が持ち上がる。球団幹部の集まる旅館へファンが押しかけた。「わしらのカープをなくすな」。球団は辛うじて生きのびたと「カープ50年 夢を追って」(中国新聞社編)にある。
在此之后,解散的议题立刻提上案头。但球迷们堵在了球队干部所在的旅馆门口。“不要解散我们的鲤鱼”。于是,球队艰难地活了下来,以上摘自《鲤鱼五十年,追梦之旅》(中国新闻社编)。
長きにわたる低迷期も市民は球団を見捨てなかった。高年俸の大リーグを去って古巣に戻った黒田博樹投手は、「広島は僕を必要としてくれる」「僕も選手として成長できると考えた」と語った。彼の選択はファンに限らず広島の人々を奮い立たせた。
即便球队长期处于低迷期,市民也没有放弃他们。离开高年薪的大联盟,回到老队的黑田博树投手说,“广岛需要我”;“我作为一名选手,认为球队能够成长”。他的选择不仅让球迷振奋,还鼓舞了全体广岛人。
試合は連日大入り満員。得点のたび大合唱が球場を揺らす。「宮島さんの神主がおみくじ引いて申すには今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち」。安芸の宮島にある厳島神社を引き合いにした応援歌だという。陽気な歌声に一夜酔いしれた。
球队比赛的时候,场场都是爆满。每次得分都会响起球迷们气势如虹的大合唱。“宫岛祭祀的签上说,这次鲤鱼又将获胜!胜利!胜利!”据说这首助威歌是以位于安艺县宫岛的严岛神社为灵感创作的。在气势如虹的歌声中,我一夜沉醉。