解散的SEALS核心成员奥田爱基在初一时遭受过欺负。初二时,她看了本报晨刊专栏“致受欺负的你”后,决定转校。剧作家鸿上尚史先生的一篇来稿打动了她的内心。
「死なないで逃げて逃げて」。いじめに悩む生徒に「南の島」へ逃げる道もあると説いた。島名は伏せられていたが、奥田さんは「南の島」「不登校」などとネットに打ち込み、鴻上さんの訪ねた沖縄・鳩間島(はとまじま)を見つけ出す。北九州から転校し、立ち直るきっかけをつかんだ。
“不想死,就要逃”。他在文中告诉那些受欺负的学生,有条生路是“逃亡南方的岛”。虽然岛名没有明说,但是奥田同学通过网络输入“南方的岛”和“不上学”搜索后得知,它就是鸿上先生走访过的冲绳•鸠间岛。于是,她从北九州转校,抓住了这重生的机会。
鴻上さんが寄稿したのは、高校の同級生である本紙の山上浩二郎記者に頼まれたからだった。山上記者は筆者の職場の先輩でもある。骨があって労をいとわず、新聞をこよなく愛する記者だった。
鸿上先生之所以会来稿,完全是应其高中同学山上浩二先生(其也是本报的记者)的请求。山上先生是笔者在公司的前辈。他为人正直,不辞辛劳,对报纸怀有特别的喜爱。
もしあの時、山上記者が鴻上さんに寄稿を頼まなかったら、と想像をめぐらせた。奥田さんの不登校は続き、大学へは進まなかったかもしれない。そうなればSEALDsは結成されず、「立憲主義って何だ」と訴えるデモのうねりも生じなかったのではないだろうか。
如果那个时候,记者山上没有请鸿上先生投稿……我不禁展开了想象。那么奥田同学或许将持续不去上学,进而考不进大学。如此一来,SEALDS就成立不了,“所谓立宪主义是什么”的示威游行的呼声也无从谈起了。
山上記者は4年前、53歳の若さで病死した。教育記事や社説、闘病記の連載のほか、記者としての思いを詠んだ短歌が残された。〈編集の会議終りし日暮れ時ビル抱くやうに虹高く立つ〉〈四月より被災地に行く後輩を送る会にて無事祈るのみ〉。
四年前,记者山上因病去世,年仅53岁。除了教育报道、社论以及与病魔搏斗的连载之外,他还留下了歌颂记者情怀的短歌,“编辑会结束,黄昏时分彩虹高挂,我喝着啤酒”、“四月时节,送别了去灾区的后辈,希望他们平安”。
〈記者となり四半世紀すでにたち完璧なる記事未だにあらず〉。新聞週間の初めに、遺作を手に取り、黙って読み直した。
“作为记者度过了1/4的世纪,但仍没有写出完美的报道”。在新闻周的开始,我拿过他的遗作,默默地重新看了一遍。