庆应3年10月(1867年),德川庆喜在京都•二条城的二之丸御殿对幕府的官员说,“这样西区,日本只能分裂为大大小小三百个国家。如果德川家归还政权,那么它还能统一起来。”面对他宣告幕府结束的这次雄辩,所有人没有动作。
司馬遼太郎の小説「最後の将軍」の一幕である。家康、吉宗以来とたたえられた英邁(えいまい)な将軍は、幕藩体制の限界を悟っていた。維新後は政治に背を向け、謡曲や油絵に没頭した。
这是司马辽太郎的小说《最后的将军》中的一幕。被誉为自家康、吉宗以来最为英明的将军,领悟到了幕府体制的极限。明治维新后,他对政治不闻不问,埋首于民谣歌曲和油画。
来年は大政奉還から150年。舞台となった二の丸御殿がいずれ、国際会議や展示会に使えるようになるかもしれない。城を管理する京都市の有識者会議が先月、天守閣の復元とともに、いまは観覧のみの御殿の有料貸し出しを提案した。
明年是大政奉还150周年纪念日。而作为舞台的二之丸御殿或许也会迎来成为国际会议和展示会场所的日子。管理二条城的京都市知识分子会议在上月提出复原天守阁的同时,建议有偿出租现在仅限参观的御殿。
とはいえ城は世界遺産であり、御殿は国宝である。大広間、黒書院、白書院などそれぞれの間が400年の時を刻む。狩野派絵師による山水図など文化財をどう保護するか。通常の観覧と貸し出しをどう両立するか。実現には時間がかかりそうだ。
但该城是世界遗产,御殿是国宝。大广间、黑书院、白书院等等每个房间都记录下了400年岁月的变迁。如何保护狩野派画师所作的山水图等文化财产?如何顾全一般参观和出租?要实现这一切需要时间。
秋晴れの一日、城内を見学した。築城を命じた家康は完工まもない慶長8(1603)年、公家や諸大名を招いて祝賀の宴を張った。明治天皇が幕府討伐の詔(みことのり)を発したのもこの城だ。
在一个秋高气爽的日子里,我参观了二条城的内部。庆应8年(1603年),命令筑城的家康在尚未完工的情况下,就召集官员和各位诸侯举行欢庆的宴会。明治天皇下达讨伐幕府的诏书也是在这座城。
朝廷の「菊」と徳川の「葵」が交錯し、歴史が大きく動いたこの御殿で、スーツ姿の現代人が会議を開く日を想像した。何か壮大な構想が生まれるかもしれない。あるいは、参加者の肩に力が入りすぎて空転するかもしれない。
我曾想象在这座交织着朝廷的“菊纹”与德川家的“葵纹”,推动历史发生巨大变革的御殿里,穿着西装的现代人开会是何种场景。或许会盛况空前吧。亦或者,由于参加的人太过紧张,而让会议流于形式。