今年是水俣病被公开确诊的六十周年。昭和31年(1956年)的5月1日,已故氮气水俣工厂附属医院院长细川一医生将一份“原因不明的脑部症状”报告送到水俣卫生站,因而将该病冠以此名。
その細川医師をモデルにした創作劇「静かな海へMINAMATA」を東京都内で見た(公演は終了)。主人公の医師は手足のしびれや言語障害などの症状に苦しむ患者たちを診て、究明に乗り出す。工場廃水を連日与えたネコに同じ症状が現れ、衝撃を受ける。
我在东京都观看了以这位细川医生为原型拍摄的电影《水俣,迈向平静的大海》(公映结束)。主角医生在给患有手足麻痹和语言障碍的病人诊治完后,开始竭尽全力调查原因。当看到连日引用工厂废水的猫身上也出现同样的原因后,他深受打击。
「ネコの実験を本格化させたい」と申し出るが、チッソ幹部から「わが社の見解に合わない」と拒絶される。真相を明かせないまま、60代で引退した。
他提出“希望用猫做一次正规的实验”,但氮气工厂的干部以“不符合我司观点”而决绝了。就这样,真相一直没有揭开,他在60岁时就退休了。
娘や若い環境学者に説得されて心が揺れる。第2の水俣病を新潟の現地で目の当たりにして、患者側に寄り添う決意をする。戦時中からずっと世話になったチッソへの恩義と、医師としての良心のはざまで苦悩する姿には胸を打たれた。
后来他被女儿和年轻的环境学者说动了。在新泻的事发地亲眼目睹了第二类的水俣病,于是他决定站在患者一边。从战争时期开始,氮气就对人类贡献良多,他挣扎于这份恩情和作为医生的良心之间的样子令人动容。
しかし現実の被害はあまりにも重い。先日の本紙は、典型症状があるのに病の認定や救済策を受けていない人が1500人以上もいると報じた。偏見に対する恐れや情報不足のため救済から取り残されている。現状は全面解決と言うにはほど遠い。
但是,现实的受害委实太过严重。前些日子,本报曾报道,还有1500多人患有典型症状,却没有获得疾病认定以及救济政策。因为源于偏见的恐惧和信息不足,他们没有得到帮助。从现状来讲,该事件距完全解决还为时过早。
この29日、水俣湾の埋め立て地では、犠牲者の慰霊式が開かれる。〈水俣病慰霊式の鐘の音のチッソOBの吾が胸抉(えぐ)る〉中村和博。元社員が詠んだ。60年を超えてなお、この病はあまたの命と暮らしを壊し続け、加害の側をもさいなむ。
本月29日,在水俣湾的填埋地将举行遇难者的祭奠仪式。中村和搏吟道,“水俣病追悼仪式,钟声阵阵,仿佛一把尖刀,刺在我这位氮气工厂老员工的心头”。他曾是该厂的员工。已经过去了60年,该病仍在破坏许多人的生命和生活,同时也在责问着加害方。