我的爷爷奶奶生前曾因不会用公用电话而万分苦恼。我觉得很不可思议:“这么简单的道具怎么就不行?”。现如今轮到自己和智能手机艰苦战斗。
「社の電話は何番を用ひれば用足るや」「小生(社の電話には)田舎ものなり」「一寸(ちょっと)教へて下さい」。夏目漱石は、自宅にひいた電話から勤め先の東京朝日新聞へかけようとして失敗した。大正の初め、同僚だった杉村楚人冠(そじんかん)に電話のかけ方を尋ねた書簡が見つかった。千葉県我孫子市の楚人冠記念館で公開されている
【公司的电话只要拨几个号码就可以办事了】【我(给公司打电话时)就是个乡下人】【请(稍稍)教我个一星半点吧】。夏目漱石试着用自家装的电话给单位东京朝日新闻打电话却失败了。大正初年,他写给当时的同事杉村楚人冠询问打电话方法的书信被发现。正在千叶县我孙子市的楚人冠纪念馆展出。
企画展を担当する高木大祐さん(39)によると、交換手に「どこそこ局の何番に」と頼む方式の電話だった。「無暗(むやみ)につながしたりしが為め通せざりしや」。自分がむやみにつながせたために通じないのか。頭を抱える姿が浮かぶ
策划此次展览的高木大祐(39岁)说当时打电话的方式要拜托接线员【接某局的什么号码】。“胡乱一气故不通哉”。因为自己乱让对方连线所以打不通吗?他抱头百思不解的样子顿时浮现在眼前。
当時の電話帳を開くと「夏目金之助 新聞記者」と記載がある。かけた先の新聞社の欄には、編集用、事務用、記者詰所(つめしょ)と18もの番号が並ぶ。漱石が投げ出した一因は電話帳だったらしい
翻开当时的电话簿,有一页是【夏木金之助 报刊记者】。打出去的报刊那一栏并排写有编辑用、杂务用、记者办公室等18个号码。好像漱石写信的一个原因就是电话簿。
横田順彌(じゅんや)著「明治はいから文明史」によると、明治の末、電話の設置先は官公庁や企業、旅館などが多く、よほどの名士でないと家庭には置かなかった。「電話を使うとコレラに感染する」という風説が普及を妨げたという
根据横田顺弥撰写的《明治西洋文明史》,明治末年,安装电话的地方多为官府、企业和旅店,不是非常有名的名人家里都不装。据说【使用电话会感染霍乱】的谣言妨害了其普及。
漱石に限らずいつの世も最新の利器は人々をとまどわせる。だれしも15歳の時までに接したテクノロジーにしか適応できないという説をどこかで聞いた。スマホを使いこなせない小生もまた、田舎ものなり。
不仅是漱石,任何年代的最近科技都让人们不知如何是好。我在哪儿曾听说过,所有人只能适应在15岁之前接触的科技。用不惯智能手机的笔者也是个乡下人。