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北方小城 惨遭大火

时间: 2017-01-05    进入日语论坛
核心提示:「がんばろう糸魚川」「負けるな糸魚川」。商店街に激励の幕がはためく。焼け落ちた家では被災者がスコップを手に思い出の品を捜
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「がんばろう糸魚川」「負けるな糸魚川」。商店街に激励の幕がはためく。焼け落ちた家では被災者がスコップを手に思い出の品を捜す。歳末の大火に見舞われた新潟県糸魚川市を歩いた。 “加油,系鱼川”;“不要认输啊,系鱼川”。商店街上悬挂着写有激励话语的幕布。在烧毁的房屋上,受灾的人们拿着铁锹寻找着念想之物。我去了遭遇岁末大火的新泻县系鱼川市。 街の歴史は火災の歴史でもある。700棟や500棟が灰燼(かいじん)に帰す被害が江戸の昔から続く。「ふんどし町」と呼ばれる細長い市街に家々が密集。乾いた風が吹きこめば、火の手はたちまち広がる。 这条街道的历史也是一部火灾的历史。从遥远的江户时代起,其就遭受过两场火灾,700棟房屋和500房屋化为了灰烬。被称为“ふんどし町”(兜裆布之镇)的狭长大街两侧遍布民家。一旦干燥的风吹进来,火势会立刻扩大。 今回の火災でも144棟が焼けた。筆者のめざした歌人相馬御風(そうまぎょふう)(1950年没)の生家は、延焼区域のすぐ外にあった。風向き次第ではあわやという近さだった。 在这次的火灾中,有144棟房屋受灾。笔者的偶像——俳歌诗人相马御风(卒于1950年)的老家就紧贴着这次火灾的蔓延区域。一旦风向改变,很容易陷入险地。 「都の西北」で始まる早稲田大校歌や童謡「春よ来い」の詞で知られる。中央文壇で名をなすが、32歳で糸魚川に戻る。1928(昭和3)年の大火では自宅と原稿、蔵書を一度に失った。〈何が何やらわからぬうちにわが住居焼けてあとなくなりにけるかも〉。 他以早稻田大学校歌《都市的西北》出道,凭借为童谣《春天来了》作词而闻名。虽然扬名中央讲坛,但32岁那年回到了系鱼川。在1928年(昭和3年)的大火中,他一度失去了房屋、原稿和藏书,“在糊里糊涂间,火灾降临,失去一切”。 妻子も無事だったがトイレには窮した。〈焼(やけ)トタン拾ひあつめてつくりたるこれの厠(かわや)の屋根は青空〉。御風伝を著した金子善八郎(ぜんぱちろう)さん(81)によると、東京の知人から上京避難を勧められたが、地元にとどまる。敷地の一角を10家族の仮住まいに供し、酒食もふるまったそうだ。 妻子万份狼狈地在厕所躲过一劫。“火灾过后,收拾残局,厕所屋顶变青天”。据著有御风传的金子善八郎先生(81岁)说,有东京的朋友劝他来京避难,但他还是留在当地。据说他们一家十口暂居宅基地的一角,还有人给他们送酒送饭。 今回の火災でも住民らの助け合いは特筆に値しよう。連日がれきの山と格闘し、再開した商店で励ましの買い物をする。〈人の世のなさけはうれしありがたし命いつくしみ生きてし行(い)かな〉。何世紀も大火に泣かされた街に息づく善意の輪が見えた。 在这次的火灾中,居民间的互帮互助值得大书特书。连日以来,他们持续清扫成山的瓦砾,还在重新开门的商店购物以示鼓励。“人世间的感情令人感动,而这也让人有继续活下去的勇气”。在多个世纪遭遇大火的街道,我们看到了充满善意的人性之花正在开放。
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