雪の朝、愛する父親が自分の目の前で凶弾に倒れる――。壮絶な体験は9歳の少女の胸にかくも深い傷を与えるものか。昨年暮れに89歳で亡くなったノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの生涯を著書や記事でたどってしばし考え込んだ
在一个漫天飞雪的清晨,深爱的父亲在她的眼前被罪恶的子弹击倒。悲壮的经历岂能不在年方9岁的少女心里造成深深的创伤。时常通过著作及报道回首这位于去年年末以89岁高龄辞世的Notre Dame清新学园理事长渡边和子女士的一生,不由地使我陷入了深深的沉思。
陸軍教育総監だった父渡辺錠太郎氏は昭和11(1936)年2月26日、自宅で青年将校らの銃弾を浴びた。和子さんは座卓のかげで難を逃れた。怒声、銃声、血の跡が恨みとともに胸の底に刻まれた。長じてカトリックの道に進むが、いくら修養を積んでも恨みは消えない
曾任陆军教育总监的其父渡边锭太郎先生于昭和11(1936)年2月26日在自己的家中遭到了青年军官的枪击。当时和子姑娘正好躲在了地桌的背后,才算逃过了厄运。但是,怒吼声、枪声以及斑斑血迹与仇恨一起都深深地镌刻在她的心底。长大以后虽然走上了信奉天主教的道路,可是,无论如何修行都无法消除心中的仇恨。
意を決して、父をあやめた将校らの法要に参列したのは2・26事件の50年後。「私たちが先にお父上の墓参をすべきでした。あなたが先に参って下さるとは」。将校の弟が涙を流した。彼らも厳しい半世紀を送ったことを初めて知り、心の中で何かが溶けたという
最后,她下决心参加残害其父的军官们的祭悼法事,这已经是2•26事件发生50年后的事啦。“本该由我们先给令尊扫墓祭拜的,没想到你却先过来参加我们的祭悼,实在愧不敢当”,军官的弟弟流下了感激的泪水。据说,直到这时,她才第一次知道,其实他们这些家属也是在沉痛的煎熬中度过了半个世纪。于是,心中的仇恨化解了。
晩年まで過ごしたのは、岡山市にある学内の修道院。静穏な日々ばかりではなかった。30代で学長という大役を任され、管理職のストレスに悩んだ。50代で過労からうつ症状に陥り、60代では膠原病(こうげんびょう)に苦しんだ
一直到其晚年都是在位于冈山市某所学校院内的修道院里度过的。当然,日子并不清静安逸。30多岁的时候就担负起校长的重任,成天为管理工作的紧张而烦恼。50多岁时因劳累过度而出现了忧郁症状,到了60多岁时又罹患上了胶原病,非常痛苦。
80代で刊行した随筆『置かれた場所で咲きなさい』が共感を得たのは、父の悲劇を含め自らのたどった暗い谷を率直につづったからだろう
在其80多岁时出版的随笔《请在需要的地方绽放》获得了强烈的共鸣。之所以如此,恐怕是因为她真实地阐述了包括其父悲剧,还有自己所走过的昏暗的人生低谷的缘故吧。
「つらかったことを肥やしにして花を咲かせます」「でも咲けない日はあります。そんな日は静かに根を下へ下へおろします」。いくつもの輝く言葉を残し、80年前の雪の朝に別れた父のもとへ旅立った。
“把那些不堪忍受的事统统当作肥料,为了使鲜花绽放得更加美丽”“不过,也有无法绽放的日子。每当此时就静下心来把根扎得更深更深”。她留下了诸多熠熠生辉的话语,踏上了征程,前往80年前的飞雪清晨别她而去的父亲身边。