跳台滑雪这项比赛,起点是在高度超过140米的大跳台上,这相当于从东京塔的大观景平台上一跃而下,以八十多公里的时速从冰雪构成的斜面上滑下去。光是想象就令人不寒而栗。
ジャンプの全日本選手権は1923年に始まった。選手は男子だけ。「女子には無理」という周囲の先続き入観は長く続いた。国内で女子選手が初めて公式戦でラージヒルを飛んだのは1997年だった。高校3年の山田いずみさんが男子に交じって挑んだ。
从全日本遴选跳台滑雪选手始于1923年。当时仅限于男子。“女人是不行的”,周围这种先入为主的观点持续了很长一段时间。在国内,女子选手第一次正式参加比赛是在1997年。当时,高中三年级学生山田选手夹杂在男选手中间,从跳台一跃而下。
当時、女子を受け入れるチームは少なく、出場できる試合もわずか。更衣室はなく、トイレで着替えながら経験を積み重ねるしかなかった。そこから徐々に増え始めた国際大会に、日本から参加するようになった。
那时,接受女子参赛的队伍很少,能够出场的机会也是微乎其微。她们没有更衣室,只能躲在厕所更换衣物,默默地积累着比赛经验。此后,国际大赛的次数逐渐增加,日本选手参赛的频率也高了起来。
女子ジャンプを国内に認知させた山田さんは、ソチ五輪での採用が決まる2年前に現役を退いた。今は日本代表コーチを務める彼女に、引退の花束を渡したのは当時小学6年の高梨沙羅さんである。
让国内的人们认识到女子跳台滑雪的山田女士,在索契获得冬奥会举办权的二年前退役了。她现如今担任日本代表队教练,而当时递给她退役花束的是时年小学六年级的学生高梨沙罗。
その高梨さんが16日、男女を通じてW杯最多に並ぶ通算53勝を達成した。二十歳の若さで6シーズンの勝率が6割、総合優勝は4度を数える。風や雪の自然条件に左右される競技で、この成績は驚きだ。
这位高梨选手在16日获得了第53次胜利,在男女合计的世界性比赛优胜排名中获得了并列第一的佳绩。年仅20岁的她在6个赛季中的获胜比率是60%,合计四次获得了冠军。在被风雪这些自然条件左右的竞技中,这一成绩无疑是惊人的。
「あれほど前へ飛び出していくのは、人間業ではない」と五輪金メダリストの原田雅彦さんはいう。絶妙な身体のバランスとひるむことのない意志で、高梨さんは白銀の世界に伸びやかな放物線を描く。その背中に若い女子ジャンパーたちが続くはずだ。
“像那样一跃而下,简直不是人类所能做出的”,奥运冠军原田雅彦说道。以绝佳的身体平衡与毫不畏惧的意志为后盾,高梨选手在银白的世界里描绘出了一条优美的抛物线。在其背后,年轻的女选手们还将不断出现。