恋爱的季节终于来临了。但这说的是猫而非人。“春の猫”(春天的猫)、“うかれ猫”(轻浮的猫)、“猫の妻”(猫的妻子)、“猫さかる”(找猫),看了这些生动描绘猫儿为爱而动的季节语,不可思议和寒冷的感觉也得到了缓解。
俳人たちもこの時期のネコたちに魅せられてきた。しかし、句に詠まれたネコたちの熱情は、科学的にどう評価できるのか。イヌやネコの行動に詳しい帝京科学大学の加隈(かくま)良枝准教授に講評をお願いした。
俳歌诗人们也被这个时期的猫儿迷倒了。但是,对于这份用诗句吟诵猫咪的热情,从科学的角度又该如何评价呢?为此,我请教了熟悉犬类和猫类行为的帝京科学大学副教授加隈良枝先生。
たとえば、芭蕉なら〈麦飯にやつるる恋か猫の妻〉。「恋やつれと言うのは、ややオーバーでしょうね。発情期は食欲が一時的に減退し、体重が減る。シンプルに受け止めるべきでしょう」。
例如大诗人芭蕉写有这样一句诗“麦飯にやつるる恋か猫の妻”(茶饭不思,或许猫儿在思春)。对此,加隈先生评论道:“为爱消瘦似乎说得稍微有点过了。猫在发情期会出现暂时的食欲衰退,体重也会出现一定下降。对此,不应过度解读。”
情熱的な躍動を詠む名句もある。芭蕉は〈またうどな犬踏みつけて猫の恋〉。子規は〈おそろしや石垣崩す猫の恋〉。誇大だろうか。「いえ、動物学の理にはかなっています。発情のスイッチが入るとネコは本能の命じるまま。人間なら理性で抑える一線も越えて行ってしまう」。
芭蕉大师还有一句描绘猫儿兴奋得上下扑腾的名句,“またうどな犬踏みつけて猫の恋”(猫儿在恋爱,又在欺负狗),子规也有类似的一句诗,“おそろしや石垣崩す猫の恋”(猫儿恋爱很可爱,连墙都要倒)。这肯定是夸大其词了吧。但教授并不这么认为,“从动物学的理论上讲这是成立的。一旦猫儿进入发情期,猫儿就会完全凭本能行事。即便是人类,一旦突破理性的底线,也会如此。”
恋の名句を一つだけ選ぶとしたら、筆者は〈うらやまし思ひきる時猫の恋〉を挙げたい。越智越人(えつじん)の句で、師匠の芭蕉も激賞している。恋の大胆さをうらやむ句かと思いきや、深追いを避ける冷静さを詠んだとみる説もある。いずれにせよ、ネコの恋には古来、ヒトの詩情を湧きたたせる何か特別な魅力があるようだ。
如果只能挑选一句描写猫儿恋爱的名句,那么我想选择“うらやまし思ひきる時猫の恋”(猫儿恋爱,令人艳羡)。这句诗的作者是越智越人,他的老师芭蕉也对此也是赞不绝口。既然有羡慕猫儿恋爱大胆的诗,那么当然也有吟诵猫儿不死缠烂打,心怀冷静的诗句。不管怎么说,自古以来猫儿的恋爱总能勾起人们的诗情,或许是有其特别迷人之处吧。
きょう22日はネコの日である。〈恋猫や世界を敵にまはしても〉大木あまり。恋するときの冷静と情熱の間をネコたちが私たちに教えてくれる。
今天,2月22日是猫咪之日。大木あまり吟道,“恋猫や世界を敵にまはしても”(猫咪为爱,敢于世界为敌)。猫儿们正在教授人们如何平衡恋爱时期的冷静和热情。