友人からは「いい年をして今更、なぜ社交ダンスなど習うんだね」とあざけられる。妻からは「年よりの冷や水」と言われる。50歳すぎでダンスの教習会に通う主人公は、老い始めた自分の肉体と向き合う。遠藤周作の1970年代の短編「五十歳の男」である。
“现在都一把年纪了,还学什么交谊舞”,友人嘲笑道。妻子也数落道“老年人自不量力。”年过半百的主人公通过交谊舞培训课程,逐渐正视自己开始衰老的躯体。这是1970年短篇小说《五十岁的男人》中的一则故事,作者是远藤周作。
若い人たちと一緒にステップを踏むことに疲労を感じ、あえぎながら坂をのぼる古い自家用車に自分を重ね合わせる。いま読むと老いるのがやや早いかとは思うものの、人生の峠を過ぎた悲哀が伝わってくる。
因为和年轻人一起练习舞步而感到疲劳,他不禁想起骑着家里那辆老旧自行车爬坡的自己。虽然我现在读这个时感觉他并没有那么老,但还是让我感受到了度过人生分水岭后的悲哀。
そんなたそがれとは無縁の人なのか。肉体も情熱も衰えを知らないかのような動きに驚く。サッカーの三浦知良(かずよし)さんがJリーグ史上初めて50歳でゴールを決めた。頭に白いものが交じりながらの疾走である。得点の後、独特のステップを踏むカズダンスも健在だった。
下面这位难道与所谓的人生衰老期无缘吗?我对他不知肉体衰老且热情丝毫不减的行为感到瞠目结舌。足球选手三浦知良先生完成了日本足球联赛史上50岁选手第一粒入球。虽然他头发已经花白,但跑起来依然风驰电掣。得分之后,他那特有的庆贺舞步也是丝毫不逊当年。
三浦さんは最近、雑誌「Number」でこう語っている。「身体の衰えはあるにしても、思っていること、やりたいことは若い頃から何も変わっていないんです」。試合に出られない悔しさは30年前と変わらないとの言葉もあった。
三浦先生最近在杂志《Number》上这样说道:“即便身体衰老下去,但我的想法和我想做的事情与年轻时刻一般无二。”他还说对当年不能出线的悔恨之情同30年前一般无二。
何歳になっても現役のままでボールを追いかける。長く生き、長く活躍が求められる現代での一つの生き方なのだろう。同世代としてまぶしく感じるのは、少し運動すると悲鳴を上げるようになった自分の体の変化ゆえか。
无论多少岁,他还会保持现役的状态去踢球。追求长寿,追求长时间发挥作用也是现代的一种活法。对于那些与他同年的人而言,之所以感到不可思议,或许是自己身体稍微运动下就会感觉不适的缘故吧。
誰もがカズのように走り続けられるわけではない。それでも、彼の姿を見ていると、「落ち着くのはまだ早い」と背中を押される気がしてくる。
不是谁都能像他一直跑下去。但是,当我们看到他的身姿时,或许会感觉有股力量在背后推着我们,“离消沉下去还为时尚早。”