他们刚参加完大学毕业典礼吗?这几天,在轻轨上,我时不时能看到穿着靓丽服饰的年轻人。我记得无论是高中还是大学,此类典礼都严肃得很,从未听过有人用如此柔和的语气讲述。我买了本毕业典礼演讲集《如果这样不行》,作者是卡特•乌内加托,他多次应美国大学邀请参加其毕业典礼。
偉大な勝利でなく、日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間に、気付くことが大事だと彼は説く。木陰でレモネードを飲むとき。パンの焼ける匂いがするとき。魚釣り。漏れ聞こえる音楽に耳を澄ますとき。
他说,所谓伟大的胜利并不重要,值得珍惜的反而是日常生活某一细微美好的瞬间。在树荫下喝着柠檬汁的时候;闻着烤面包味道的时候;钓鱼的时候;侧耳倾听若隐若现的音乐的时候,尽皆如是。
小学校入学からこの日までに、暮らしを楽しいものにしてくれて、誇りを与えてくれた先生に出会ったことのある人はどれだけいるだろうか。そう尋ねて手を挙げさせたこともある。「今度は、その先生の名を、誰か、君の横にいる人に伝えよう。できたかね? おめでとう。気をつけて家に帰りたまえ」。
从小学入学那天到大学毕业的日子,有多少人遇见过给予你生活的乐趣,给予你褒奖的老师。你们也曾竭力寻找过这样的老师。“现在,请把这位老师的名字告诉某个人抑或你身边的人。你们是否能做到呢?恭喜你们,可以回家了。”
心の底から自分の先生だと思える1人。長いようで短い学校時代に会うことができれば幸せだろう。つらいときや迷ったとき、何を語っていたかを思い出す人に。
每个人都想想是否有一个老师让你发自内心地想念。学生时代说长不长,说短不短,如果你能遇到这样的老师,那真是件幸福的事情。你窘迫或困惑的时候,你是否会向那位思念的人倾诉呢?
我が身を振り返ると、とある歴史学者がいた。「歴史上の出来事を理想化してはいけない」と教えてくれた。明治のころの民衆蜂起に心酔しそうになった若者への戒めだったのだろう。歴史に限らず人物でも社会運動でも、これこそ正義だと思いそうになったときに、かみしめている。
就我个人而言,我曾遇见过一位历史学者。他告诉我,“不能想当然地认为历史上发生过的事情。”这是对醉心于明治时期民众暴动的年轻人的告诫。不仅是历史,无论是英雄人物还是社会运动,每当其被视为正义时,都要三思而后行。
1人も出会わなかったって? 大丈夫。社会に出てから、いくらでもチャンスはある。
你是否遇见过这样一个人?不要紧。踏上社会后,机会多的是。