说起“天妇罗”,它和寿司一样,都是日本料理的代表,在海外也是颇受欢迎的美味。话虽如此,但关于其起源却有着各种所发,原田信男先生在其著作《和食与日本文化》中认为,天妇罗来自葡萄牙的说法非常具有说服力。
どうも17世紀ごろ伝わったようで、語源もスペイン語系のTemporaだとする説を紹介している。日本は早くから、よその国の料理を取り入れ、食文化を豊かにしてきた。
原田先生介绍说,该观点认为天妇罗应该是17世纪左右传来的,其词源也来自西班牙语“Tempora”。 日本从很早以前就“拿来”别国的料理,丰富自己的饮食文化。
パン食も定着し、近所にお気に入りのパン屋をお持ちの方もおられよう。ところがそんなパン屋が教科書からはじき出されたのだという。小学校道徳の教科書検定の結果、「にちようびのさんぽみち」との教材に登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更された。
面包店里也卖天妇罗,在附近那家我常去的店里,我常看到有人去买。然而教科书里竟然把面包店排除在外。小学道德教科书审核的结果下来了,课文《周末的步行街》中的“面包店”被改成了“日式点心店”。
学習指導要領が求める「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との点が不足すると文部科学省が指摘し、出版社が修正した。パン屋では日本らしさが欠けるということか。同様の理由で、公園の遊具が和楽器の店に差し替えられた。
文部科学省指出,教材没有满足学习孩子到要求所提出的“爱日本、爱日本乡土文化”,于是出版社做出了以上修改。难道面包店就是日本可舍弃的东西吗?基于同样的理由,公园的游乐设施也被换成了日本乐器店。
もう50年以上前だが、評論家の加藤周一が仏教伝来や洋服などを例に、日本は雑種文化であると論じた。「日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、同じ人が純日本風の電車や選挙を説くことはない」と書き、偏狭な日本主義者を批判した。
五十多年前,评论家加藤周一先生就以佛教传来和西服为例,讨论过日本是杂种文化。他写道:“有人呢宣扬日本精神和纯日本风格的文学艺术,但他不会说纯日本风格的电车和选举”,并批判了这种狭隘的日本主义者。
和菓子や和楽器にすがって国や郷土への愛を説くとすれば、滑稽というほかない。本質よりも体裁にこだわる大人たちの姿である。まさか反面教師としての教育の一環ではあるまい。
如果用日本电信和日本乐器来宣扬对国家和故乡的热爱,真是滑稽至极。这些成人相比本质,更在意的只是形式而已。这又不是把他们这些人当作反面例子教育学生……。