《世界上无法翻译的语言》中收录了一些很难分成外国语言的单词,日本语“TSUNDOKU”(積ん読)也被列入其中。将“本を積み重ねて読んでいない後ろめたさ”(书本堆积成山,因为没有看而心生愧疚)和“いつかは読みたいとの気持ち”(下定决心总有一天去读)翻译出来,确实是一件难事。
先日の英紙フィナンシャル・タイムズの見出しには、Sontaku(忖度〈そんたく〉)の語があった。「まだ出されていない命令に、先回りして懐柔的に従うこと」と苦心して訳していた。日常であまり使わない言葉が脚光を浴びるようになったのは、森友学園問題ゆえである。
前些日子的英国泰晤士报的标题上出现了“Sontaku”(忖度)一词。该报绞尽脑汁将其翻译为“まだ出されていない命令に、先回りして懐柔的に従うこと”(委婉地遵从尚未发出的命令)。这一不常用的词之所以如此引人注意,是因为森友学园的问题。
学園が格安で国有地を入手できたのは、名誉校長だった首相夫人や首相官邸の意向を役人たちが忖度したためでは、との疑いが出ている。財務省、国土交通省、大阪府……。二重三重の忖度のにおいがする。
目前,有人怀疑该学园之所以能低价购入国有土地,是因为相关官员忖度了身为名誉校长的首相夫人和首相的意思。财务省、国土交通省、大阪府……我感觉这经过了多次的忖度。
忖も度も「はかる」の意味である。それが最近では、権力者の顔色をうかがい、よからぬ行為をすることを指すようになってしまったのか。議論や異論が押しやられ、「それは理屈に合わない」といった声が消えてしまうのが怖い。
无论是忖还是度,都有“商量”的意思。而最近,它却成了根据权力者的喜好,做出不好行为的代名词。议论和不同意见都被打压,“不合规范”的声音消失不见,这是非常恐怖的事情。
「他人(たにん)心(こころ)有(あ)らば 予(われ)之(これ)を忖度(そんたく)す」とは古代中国の詩集「詩経」の一節である。他の人に悪い心があれば私はこれを吟味するという意味だと、石川忠久著『新釈漢文大系』にある。もともとは悪いたくらみを見抜くことを指したのか。
“他人有心,予忖度之”,这是中国古代的诗集《诗经》中的一句。据石川忠久的著作《新译汉文大系》中说,其意思是如果对他人有恶意,那么我们就应三思而后行。难道说,其原本的意思是指看破恶意的企图吗?
すばやく行き来するわるがしこい大兎を良犬が獲(と)らえるように、と詩は続いている。現代日本の忖度からはずいぶん遠い光景である。
这句诗下面是,跃跃毚兔,遇犬获之,意思是再狡猾的兔子,好的猎犬也能抓到它。而当代日本的“忖度”已是南辕北辙了。