说起土佐的长宗我部,是一位猛将,在安土桃山时代几乎统一了四国岛。但是由于秀吉的入侵,在会战中败于家康,从此消失于历史的舞台上。
「江戸時代は家紋も家名も使うことを禁じられた。島という姓に改め、ある時期は門番の仕事に耐えた。再び元の姓を名乗ったのは大政奉還の後です」。そう語るのは17代当主の長宗我部友親(ともちか)さん(75)である
。
“在江户时代,无论是家纹还是家名,都被禁止使用。他们以‘岛’为姓,甚至还有段时间干过门卫。他们再次回复原本的姓氏是在大政奉还之后。”这是第17代家主长宗我部友亲先生(75岁)告诉我的。
元共同通信社経済部長。記者時代は安倍晋太郎、渡辺美智雄、土光敏夫といった政財界の要人を取材した。名刺を出すとだれもが驚いた顔をする。「ご子孫ですか?」。香川県が地元の大平正芳・元首相は、「わが家は長宗我部様の足元にも及ばないよ」と感慨深げだったという。
他原来是共同通信社经济部长。他在记者时代,采访过安倍晋太郎、渡边美智雄、土光敏夫等政治、经济界要人。每次他递出名片时,对方总是一脸震惊,“你是这家的后裔吗?”原首相大平正芳老家就在香川县,他曾无限感谢地说道:“我们家族根本与长宗我部氏相比。”
今春、『絶家(ぜっか)を思う』という本を刊行し、家系の今後をめぐって揺れる思いを吐露した。家訓にいわく「水の流れに抗せざるが如(ごと)く生きよ」。その言葉通り、家制度にこだわりはない。子どもに恵まれなかったのだから、自分の代で幕を下ろすのは自然なことと感じる。
今年春天,友亲先生出版了一本《思考绝户》的书,吐露了对家族未来的担忧。其家训有云:“顺着水流生存”。正如这句话说的那样,他们没有执着于家族制度。因为没有子孙,所以他觉得在自己的时代落下本家族的历史大幕也是自然而然的事情。
一方で、忍従の歳月に耐えた先祖に十分報いることができたのか、もどかしさも募る。親戚筋は東北から九州に広がる。墓所は各地に散り、墓参もままならない。「この先、永代供養を寺社にお願いするか、墓じまいをするか。なかなか割り切れません」。
另一方面,他对自己是否已经充分回报经历了坚忍岁月的先祖感到十分焦虑。从东北至九州,家族血脉遍布全国。因为家族墓地散落于各地,所以扫墓也颇为不便。“此后,是拜托寺庙世代供养呢?还是停止扫墓呢?十分难以抉择。”
戦国武将の末裔(まつえい)でなくとも、昨今は残された実家や墓をどうするか悩む人が実に多い。考えに考え抜いて吐き出された「絶家」という言葉がまっすぐ重く胸に迫る。
今后如何处理留下的老家和墓地?为此烦恼的不仅只有这些战国武将的后裔。反复考量后被迫说出的“绝户”,令我们心情沉重。