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受害少年 痛苦一生

时间: 2017-09-02    进入日语论坛
核心提示:長崎市の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんは毎夜、体重を測った。少しでも太ると背中の薄い肌が引っ張られ、裂けて激痛が走る。
(单词翻译:双击或拖选)
長崎市の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんは毎夜、体重を測った。少しでも太ると背中の薄い肌が引っ張られ、裂けて激痛が走る。体重が3キロ以上増えぬよう気を張り詰めてきた(舘林〈たてばやし〉愛著『生きているかぎり語りつづける』) 
 
居住在长崎市的核轰炸受害者谷口稜晔先生每天晚上都要测量体重。因为只要胖一点儿,后背纤薄的肌肤就会绷得紧紧的,如同迸裂开一般的疼痛。所以,长年来一直特别小心,绝不能让体重增加3公斤以上。 
 
体調管理は、昨春亡くなった妻栄子さんと二人三脚だった。毎夜、背中に軟膏(なんこう)や保湿クリームを塗ってもらう。次々現れる腫瘍(しゅよう)に苦しんだ。「石ころをまいた布団のよう。痛くて眠れない」 
 
他和去年春季去世的爱妻荣子女士一起,共同进行身体状况的管控。每天夜晚让妻子为他的后背抹上软膏以及保湿润肤霜。不断增生的硬块皮肤使他十分痛苦,“就好像躺在石头块做成的被窝里,疼得睡不着觉” 
 
献身的な栄子さんだが、夫の背中を初めて見た日は声を上げて泣いた。被爆の実態を何も知らなかったからだ。「自分が助けないとこの人は生きていけない」と思い定めた 
 
极富牺牲精神的荣子女士第一次看到丈夫后背情况的那一天,竟然情不自禁地放声大哭了起来。因为此前对于核轰炸的具体情况毫不知情,于是横下一条心,“我要是不帮他的话,他怎么活下去” 
 
核廃絶運動に身を捧げた谷口さんが88歳で亡くなった。16歳で被爆し、早くから運動に加わったが、「自分は見せ物じゃない」と裏方を好んだ。転機は41歳の夏。米調査団が占領当初に撮影した少年が自分とわかる。背中一面が赤く焼け、目に生気がない。この苦しみを伝えて生きようと決めた 
 
献身于无核化运动的谷口先生88岁去世。他16岁受到核辐射,所以很早参加了该运动。“我不是给别人看的”,为此他选择了幕后工作。41岁的夏天,他终于迎来了转机。他得知美国调查团占领初期拍下来的少年竟是自己。整个后背通红,目光呆滞。他决定这种痛苦告诉世人。
 
「私は見せ物ではない。でも私の姿を見てしまったあなたたちは目をそらさないでもう一度見てほしい」。7年前、ニューヨークの国連本部で訴えた。手には「赤い背中」の写真を掲げた 
 
“我虽然不是一件展品,可是,希望看到我惨状的你们不要躲闪你们的目光再看一遍”,7年前,他在纽约联合国总部发出了内心的呐喊,手中举着的正是这枚“后背通红”的照片。 
 
写真は国内外で議論を呼んだ。「刺激が強い」「むごすぎる」。展示がとりやめになったこともある。谷口さん自身が「目をそらさないで」と訴えねば、これほど多くの目にとまることはなかっただろう。忘れようにも忘れられない、そして忘れてはいけない背中である。 
 
照片在国内外引起了广泛的议论,“太受刺激了”“太悲惨了”,甚至还曾经停止了展出。如果谷口本人不提出“不要躲闪目光”的诉求,恐怕不会给这么多人留下深刻的印象。他的后背就是想忘也忘不了,当然也绝不能忘记。 
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