長嶋(ながしま)監督のコマーシャルで有名な警備会社の社員だったのをやめて、意気揚々(いきようよう)と芸能マネージメントの世界に飛び込んできて、人気タレントの担当になったのに、その半年後に担当させられたのが、この問題児だったとは。
その問題児にひきずられるようにして、スキャンダル騒動の中に放り込まれてしまったのだから、本人にしたら、とんでもない災難(さいなん)にあったようなもの。「こんなはずじゃなかった」とボヤきたくなる気持ちもよくわかる。
坂口(さかぐち)マネージャー、彼もそのころの私を支(ささ)えてくれた大事な一人。
最初に会った日、この人とずっと一緒に仕事をするようになるとは思っていなかったけれど、彼と同棲(どうせい)していること、彼の借金のこと、両親との関係……私は自分のことを洗いざらい打ち明けた。それも、ファミリーレストランの「デニーズ」で、えんえん三時間。「アンナ、激(げき)やせ」とかで、リポーターや記者に追いかけられていたころのことである。
マネージャーというのは、プライバシーも含(ふく)めて、担当するタレントのすべてを把握(はあく)していないとやっていけない。糸の切れた凧(たこ)のように、どこでなにを起こすかわからないような私の場合、とくにそう。
いまでも、このマネージャーだけには、なんでも話しておく。このときも、すでに社会人を経験してきた人だし、私より五歳年上。私が全面的に信頼(しんらい)を寄(よ)せるようになるまでには、それほど時間はかからなかった。
このマネージャーも、彼を 快 (こころよ)く思っていない一人。
父なんか、まだ先入観で見ているところがあったけど、坂口マネージャーの場合、私が現場に泣きながら来るとか、せっかく仕事を入れているのに、ギャラがことごとく彼の借金の穴埋(あなう)めに使われるとか、そういうことにじかに接している。モデル、タレントをもりたてるのが仕事のマネージャーとしては、それこそ目の上のたんこぶ。
彼との別れをもっとも喜んでいたのは、坂口マネージャーだったといえる。でも、けっして私のために喜んでくれたんじゃない。そんな甘(あま)い人ではない。父の場合、情緒的(じようちよてき)な部分が強いけど、マネージャーの場合は、仕事に直接からんでくるから、そのあたりはとてもシビア。
あのやっかいな騒動の中、私のワイドショー出演から、週刊誌の取材から、それこそなにからなにまで仕切っていた坂口マネージャーは、マスコミ関係者からはとても好意的な評価をされている。
かれこれ八年の付き合いになる。大げんかをして、一ヵ月近く口をきかないこともあるけれど、いまでは、この人なしでの仕事は考えられない。
そのかわり、これほど厳(きび)しいマネージャーも、ほかにいないのではないかと思う。私をほめてくれたことがない。お世辞(せじ)やおべんちゃらを言わない。相手を気づかうような嘘(うそ)も言わない。私が泣いていても、その傷口に塩を塗(ぬ)るようなことを平気で言う。
私がめそめそしていると、なぐさめるどころか、「そんなやつを選んだあんたが悪いんじゃないか」。私生活のことにまでずけずけと口を出す。
このマネージャーは,タレントをおだてたり、なだめたり、すかしたりして仕事をさせるようなことはしない。あくまでも、プロとしての自覚を要求する。
だから、恋人には絶対にしたくないタイプだけれど、私はこのマネージャーがだれよりも信頼できる。
私は、ほめてくれる人をあまり信用しない。とくに、できが悪かったと思っているときに、ほめ言葉のようなことを言われると、よけいに不信感をもってしまう。なぐさめてくれようとする気持ちはありがたいけど、信頼感は薄(うす)れていく。
私生活への干渉(かんしよう)も、体調が悪ければ仕事にさしつかえるわけだから当たり前だと思っている。もっとも、マネージャーだから許(ゆる)されることだけれども。
「あのときのあの態度は、よくないと思う。これからは、ああいう発言はしないでください」
「私、そんなつもりで言ったんじゃないけど」
「それはぼくにもわかる。でも、人はそうはとってくれませんから」
人生の先輩(せんぱい)から、こんなふうに、社会常識的なことをもう一度、教えてもらったりする。
これまでいろいろな芸能人のマネージャーさんを見てきたけど、私は本当にすばらしいマネージャーに出会えたと思う。