「そうか。余にとって、チアーノはもうずっと前から死んでいた」(注2)
チアネッティを除く死刑囚五人はその夜、刑務所内の礼拝堂で大司教ドン・キォット神父と共に時間を過した。神父はまず皆に希望を与える意味で、ムッソリーニ首相兼党首に「特赦願い」を書くよう勧めた。チアーノだけがそれを拒否したが、他の四人から強く迫られて渋々承知した。
「特赦願い」はその夜ヴェローナに残っていた党幹部の許にもたらされた。法相ピゼンティは書記長パヴォリーニに、「これをすぐ統帥に届けよう」と言ったが、パヴォリーニはムッとした顔でそれをポケットにしまい込んだ。
「特赦願い」はその夜ヴェローナに残っていた党幹部の許にもたらされた。法相ピゼンティは書記長パヴォリーニに、「これをすぐ統帥に届けよう」と言ったが、パヴォリーニはムッとした顔でそれをポケットにしまい込んだ。
礼拝堂の中では、ドン・キォット神父が最後の夜を送る五人といろいろ語り合った。話の内容は戦後、神父が新聞雑誌、出版物などに明らかにしている。それらをまとめると、次のようである。
チアーノはまず、「死を待ちながら生きるって随分長く感ずるなぁ」と言ってひと眠りした。マリネッリは一人でわめき、おののいていた。あとの三人は威厳を保ち、静かにしていた。礼拝堂の外はナチ親衛隊が警備していた。ヴェローナのドイツ軍司令官ハルスターはヒットラーから直接「チアーノが脱走するようなことがあったら、お前の首は飛ぶぞ」と厳重注意されていたという。
ひと眠りしたチアーノは皆に、「義父の寛大さなどを信じてはいけない。まして特赦など。義父は道徳などというものにまったく無関心の男なのだ」と吐き捨てるように言った。
すると七十八歳の元将軍デ・ボーノが、「いや、彼を許してあげなさい。われわれは皆、神の前で裁かれなければならないのだから」と言った。底冷えのする厳冬の夜、皆はこの元老の言葉にシーンと静まった。元農相のパレスキは肩かけを見せて、「神父様、私が生れた時、母はこれに私を包んでくれたのです。明日、私の遺体にこれを掛けて下さい」と頼んだ。産業労働者連合会長だったゴッタルディは、「われわれが殺されるなんて本当なんだろうか。信じられない。ムッソリーニがわれわれの死を望んでいるなんてあり得ない。本当だとすれば彼こそわれわれを裏切ったのだ」と言って口惜しがった。
夜は更けていった。デ・ボーノはさめざめと泣き始めた。するとチアーノがしっかりした声で言った。
「神父様、私は誰も恨まずに死んで行きます。そのことを私の息子達にぜひ伝えて下さい。ぜひお願いします」
チアーノはまず、「死を待ちながら生きるって随分長く感ずるなぁ」と言ってひと眠りした。マリネッリは一人でわめき、おののいていた。あとの三人は威厳を保ち、静かにしていた。礼拝堂の外はナチ親衛隊が警備していた。ヴェローナのドイツ軍司令官ハルスターはヒットラーから直接「チアーノが脱走するようなことがあったら、お前の首は飛ぶぞ」と厳重注意されていたという。
ひと眠りしたチアーノは皆に、「義父の寛大さなどを信じてはいけない。まして特赦など。義父は道徳などというものにまったく無関心の男なのだ」と吐き捨てるように言った。
すると七十八歳の元将軍デ・ボーノが、「いや、彼を許してあげなさい。われわれは皆、神の前で裁かれなければならないのだから」と言った。底冷えのする厳冬の夜、皆はこの元老の言葉にシーンと静まった。元農相のパレスキは肩かけを見せて、「神父様、私が生れた時、母はこれに私を包んでくれたのです。明日、私の遺体にこれを掛けて下さい」と頼んだ。産業労働者連合会長だったゴッタルディは、「われわれが殺されるなんて本当なんだろうか。信じられない。ムッソリーニがわれわれの死を望んでいるなんてあり得ない。本当だとすれば彼こそわれわれを裏切ったのだ」と言って口惜しがった。
夜は更けていった。デ・ボーノはさめざめと泣き始めた。するとチアーノがしっかりした声で言った。
「神父様、私は誰も恨まずに死んで行きます。そのことを私の息子達にぜひ伝えて下さい。ぜひお願いします」
その夜、ヴェローナのファシスト軍団は銃殺隊を選抜した。一人に対して六人が発射するとして、三十人が選ばれた。指揮官は大佐ニーノ・フルロッティと決った。
十一日朝五時、五人の死刑囚は起された。まだ真暗な早朝、粉雪が舞っていた。ことによると、「特赦願い」が受理されるかも? という想いが、皆の頭によぎったのではないかと、ドン・キォット師は回想する。
長時間、待機させられた。午前九時、裁判官、警察官、党幹部の三人が訪れ、「助命はなされなかった」と告げた。
処刑が確定した! すぐさま、五人は鎖につながれ、ファシスト軍団に囲まれて大型バスで処刑場へ運ばれた。プローコロ城塞と呼ばれる軍の射撃演習場である。
そこにはすでにフルロッティ以下の銃殺隊が待機していた。神父は五人の逝くもののために終油の儀を与えた。五人はファシスト軍団に伴われて、着弾土堤前に用意されていた木製の簡易椅子に縛り付けられた。椅子の間隔は一メートル半。マリネッリだけが暴れ回って、縛られるのに抵抗した。
四人目に縛られたチアーノは、レインコートを着たままであった。チアーノは二度ほどうしろを振り返り、背後から射撃する銃殺隊を見やった。七メートル離れた銃殺隊は、十五人ずつ二列に並び、誰が誰を狙うかは事前に定められていた。この時の一部始終をドイツ軍撮影隊が映写フィルムにおさめていた。
そのひとコマに、背後から発射する銃殺隊をチアーノがグッと首をうしろに回して見ているカットもある。哀れなのは、その同じカットの中に、神父ドン・キォットが悲しそうにうなだれている姿が見えることだ。
刑場にはうっすら雪が積っていた。ドイツ軍の幹部も、処刑を見守っていた。
「イタリア万歳、ドゥチェ万歳!」
突然、パレスキかゴッタルディのどちらかが叫んだ。
マリネッリは、「人殺しッ」と大声で叫んだあと、「ジューリア!」と女性の名を呼んだ。
チアーノは、首をうしろに回してまた振り向いた。二度目である。
すべて数秒間のことである。
その時、指揮官フルロッティの挙げていた右手がさっと降りた。
「撃てッ!」
三十発の銃声が一度に響いた。雪のせいか音はにぶかった。
撃たれた全員、椅子ごと雪の上に転がった。
だが、パレスキとチアーノだけは、目標の心臓がはずれ、苦しみもだえていた。ほかの三人は即死であった。
チアーノにいたっては、一発だけしか命中しておらず、それも急所をはずれていた。そのため、目を見開いたまま、雪を血で染めて身をよじって苦しんでいた。
駆け寄った刑務所の医務官レナート・カレットが、フルロッティを呼んだ。
「とどめの一撃をッ!」
フルロッティは、ベレッタ自動拳銃7・65で、チアーノの右のこめかみに一発射ち込んだ。
もう一人のパレスキは瀕死の状況であった。これにもフルロッティがとどめの一撃を加えた。
チアーノに銃殺隊の一発しか命中していなかったことは重大であった。これは明らかにチアーノの心臓を狙うよう命ぜられた六人のうち五人が、サボタージュしたことになる。これはいったい何を意味していたのか? その追跡調査はあったのかどうか不明で、現在も謎のままである。
長時間、待機させられた。午前九時、裁判官、警察官、党幹部の三人が訪れ、「助命はなされなかった」と告げた。
処刑が確定した! すぐさま、五人は鎖につながれ、ファシスト軍団に囲まれて大型バスで処刑場へ運ばれた。プローコロ城塞と呼ばれる軍の射撃演習場である。
そこにはすでにフルロッティ以下の銃殺隊が待機していた。神父は五人の逝くもののために終油の儀を与えた。五人はファシスト軍団に伴われて、着弾土堤前に用意されていた木製の簡易椅子に縛り付けられた。椅子の間隔は一メートル半。マリネッリだけが暴れ回って、縛られるのに抵抗した。
四人目に縛られたチアーノは、レインコートを着たままであった。チアーノは二度ほどうしろを振り返り、背後から射撃する銃殺隊を見やった。七メートル離れた銃殺隊は、十五人ずつ二列に並び、誰が誰を狙うかは事前に定められていた。この時の一部始終をドイツ軍撮影隊が映写フィルムにおさめていた。
そのひとコマに、背後から発射する銃殺隊をチアーノがグッと首をうしろに回して見ているカットもある。哀れなのは、その同じカットの中に、神父ドン・キォットが悲しそうにうなだれている姿が見えることだ。
刑場にはうっすら雪が積っていた。ドイツ軍の幹部も、処刑を見守っていた。
「イタリア万歳、ドゥチェ万歳!」
突然、パレスキかゴッタルディのどちらかが叫んだ。
マリネッリは、「人殺しッ」と大声で叫んだあと、「ジューリア!」と女性の名を呼んだ。
チアーノは、首をうしろに回してまた振り向いた。二度目である。
すべて数秒間のことである。
その時、指揮官フルロッティの挙げていた右手がさっと降りた。
「撃てッ!」
三十発の銃声が一度に響いた。雪のせいか音はにぶかった。
撃たれた全員、椅子ごと雪の上に転がった。
だが、パレスキとチアーノだけは、目標の心臓がはずれ、苦しみもだえていた。ほかの三人は即死であった。
チアーノにいたっては、一発だけしか命中しておらず、それも急所をはずれていた。そのため、目を見開いたまま、雪を血で染めて身をよじって苦しんでいた。
駆け寄った刑務所の医務官レナート・カレットが、フルロッティを呼んだ。
「とどめの一撃をッ!」
フルロッティは、ベレッタ自動拳銃7・65で、チアーノの右のこめかみに一発射ち込んだ。
もう一人のパレスキは瀕死の状況であった。これにもフルロッティがとどめの一撃を加えた。
チアーノに銃殺隊の一発しか命中していなかったことは重大であった。これは明らかにチアーノの心臓を狙うよう命ぜられた六人のうち五人が、サボタージュしたことになる。これはいったい何を意味していたのか? その追跡調査はあったのかどうか不明で、現在も謎のままである。
それから四十年経った一九八四年の春、私はこの処刑場跡を訪れた。戦後は公営の射撃練習場になっており、チアーノらが面と向った土堤には、草が萌えていた。ドン・キォット師が嘆きながら立っていたあたりは屋内射撃場と変っていた。
私はこの射撃場の責任者の案内を受けながら、チアーノが殺された場所に立って、その時のことを考えていた。記録によると、とどめの一撃を加えられても、チアーノは目を開いたままだったのである。ドン・キォット師が、そっとその目を閉じてやった。
そのことを想い出している時も、室内射撃場からは、「ガーン、ガーン」という射撃音が耳に響いてきていた。私は肩をすくめ、その責任者に「ちょっと、射ち方止めと言っていただけますか?」と注文した。彼は笑って、私の要望に応えてくれた。彼は、私が単に銃声をこわがっていると勘違いしたようであった。
私はこの射撃場の責任者の案内を受けながら、チアーノが殺された場所に立って、その時のことを考えていた。記録によると、とどめの一撃を加えられても、チアーノは目を開いたままだったのである。ドン・キォット師が、そっとその目を閉じてやった。
そのことを想い出している時も、室内射撃場からは、「ガーン、ガーン」という射撃音が耳に響いてきていた。私は肩をすくめ、その責任者に「ちょっと、射ち方止めと言っていただけますか?」と注文した。彼は笑って、私の要望に応えてくれた。彼は、私が単に銃声をこわがっていると勘違いしたようであった。