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ムッソリーニの処刑21

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:▼哲学者ジェンティーレ暗殺四四年春、フィレンツェはいつもの年のように薔薇、つつじ、藤の花がやわらかい色彩を競っていた。だ
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 ▼哲学者ジェンティーレ暗殺
四四年春、フィレンツェはいつもの年のように薔薇、つつじ、藤の花がやわらかい色彩を競っていた。だがその“花の都”はドイツ軍の軍靴の下にあった。すでに地下組織のトスカーナ地方国民解放委員会も活発に動いており、愛国行動隊によるテロも頻発していた。
フィレンツェ大学の哲学・教育学教授ジォヴァンニ・ジェンティーレは当時は、ベネデット・クローチェと並ぶイタリアが誇る世界的哲学者であった。フィエゾレに近い小高い丘の豪邸に住み、大学の授業を終えると毎日決って午後一時半には送迎車で帰宅していた。
四月十五日、いつものようにその車が邸宅モンタルト荘に着いた。その車に四人の若い男が駆けよると、一人が車中の人物に尋ねた。
「貴方はジェンティーレ教授?」
「そうです。何の御用かな?」
車中の人物がそう答えるや否や、「人民の裁きだッ!」の叫びとともに銃声が鳴り響いた。四人はそれぞれ別の方向に走り去った。
やがて「世界的なイタリアの哲学者ジォヴァンニ・ジェンティーレ暗殺さる!」のニュースが世界中に流れた。暗殺者が愛国行動隊員であることも市内には広まった。その指導者はブルーロ・ファンチュラッツィと名乗る男であった。
共産党を除く地下組織の各党は一斉に「この行為は無謀卑劣であり、誠に遺憾である」と非難した。反ファシスト運動への国民の反感を買うことを懸念しての声明でもあった。それほどジェンティーレは市民から尊敬され、市の誇る哲学者であった。
トスカーナ地方国民解放委員会、フィレンツェの愛国行動隊とも、暗殺指令を発してはいなかった。その意味では“ハネ上がり”の愛国行動隊による行為であった。とはいえ、ジェンティーレはまぎれもなくファシスト体制に奉仕した要人であった。二二年にムッソリーニが政権に就くと、ローマ大学教授だった彼は招かれて文部大臣に就任した。以来ファシスト体制側に属し、暗殺当時はイタリア学士院院長であった。それも四三年九月にムッソリーニがサロ政権を樹立すると、ムッソリーニによって請われて任命されたのである。とはいえいずれも自ら進んで協力したわけでもなかった。
そうした点からも、ジェンティーレ暗殺は愛国行動隊の過剰行動、つまり“やり過ぎ”のそしりを免れなかった。トスカーナ地方国民解放委員会が、この件に関し「無謀卑劣」と非難したのは当然で、愛国行動隊側も暗殺実行者に対して、厳罰を科したという。
しかしジェンティーレの悲劇は、もう一人の大哲学者ベネデット・クローチェと並ぶ大哲学者だったことから生れたとも言える。ジェンティーレは六十八歳で亡くなったが、十歳上のクローチェと並び、当時ヨーロッパ最高の哲学者であった。ともにドイツ・ヘーゲル学派に立ち、師弟の間柄でもあった。
そのクローチェはムッソリーニが二二年に政権に就く直前の社会党イヴァノエ・ボノミ内閣の文部大臣であった。となればムッソリーニが新政権でジェンティーレを文部大臣に就任させたのも、当時としては自然の成り行きであった。ムッソリーニとしてもクローチェに劣らぬ大哲学者を登用することは国民の人気を得るために必要であったからである。
そのうえ、クローチェと比べた場合、ジェンティーレの哲学的立場はムッソリーニに都合がよかったのである。同じヘーゲル哲学から出発しても、クローチェが自由主義的であるのに対し、ジェンティーレはニュアンスを異にしていた。
「全体と個」つまり「国家と個人」という観点で見ると、クローチェは「個は全体の中でそれぞれ存在価値を持つ」とするのに対し、ジェンティーレは「全体の中で個は消滅する」とする。ここからクローチェは個人の自由意思の尊重を説くのだが、ジェンティーレは個人は国家というものを通じて自己を実現するのだと説く。
両者の基本的相違点を極めて大雑把に述べたが、このジェンティーレの立場はムッソリーニのファシズムにとって哲学的基盤を与えるものであった。しかもまたファシズム時代のイタリア文化形成の一助ともなったのである。ジェンティーレは後に政界を去って大学に戻るのだが、二十年後に再び利用されることになる。
四三年七月、ムッソリーニの後継バドリオ首相は無任所大臣としてクローチェを迎えた。するとムッソリーニは九月にサロ政権を樹立すると、ジェンティーレに学会最高の地位である学士院院長の地位を与えた。イタリアに並び立つ二人の哲学界の重鎮を、二つの政府がそれぞれ重用するというめぐり合せが、二人の哲学者の運命を決めた。その意味でもジェンティーレは、政治に弄ばれた悲劇の哲学者であった。
ジェンティーレの遺族はフィレンツェのファシスト党支部とドイツ軍当局に書面で「今回の不幸に関し、愛国行動隊を含めて、フィレンツェ市民への報復をしないよう」要請したのであった。
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