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ムッソリーニの処刑28

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:パルティザンと対決 二十五日の会談には、ファシスト側からはムッソリーニ以下、国防相グラツィアーニ、内相パオロ・ゼルヴィー
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パルティザンと対決
 
 二十五日の会談には、ファシスト側からはムッソリーニ以下、国防相グラツィアーニ、内相パオロ・ゼルヴィーノ、官房副長官フランチェスコ・マリア・バラク、ミラノ県知事ウーゴ・バッシ、解放委員会側はパルティザン軍最高指揮官ラファエレ・カドルナ将軍、弁護士ジュスティーノ・アルペザーニ(自由党)、サンドロ・ペルティーニ(社会党)、弁護士アキーレ・マラッツァ(キリスト教民主党)、リッカルド・ロンバルディ(行動党)の出席が組まれていた。
双方とも前夜のうちに人選し会談に臨む作戦を練っていた。解放委員会側は二十四日、地下組織として最後の幹部会を開き、会談当日の二十五日にはミラノの一斉武装蜂起を宣言することも決めていた。
カドルナ将軍が解放委員会側の首席格としてこの会談に姿を見せることは、ファシスト側に大きなショックを与えるはずであった。カドルナ自身は第二次大戦中はローマ防衛司令官を務めた経歴があり、ナチ・ドイツのローマ占領ののちに消息を絶って、行方が注目されていた。その将軍がなんとレジスタンス部隊の最高指揮官として、はじめて公然とファシストの前に姿を現わすからである。カドルナは一九四三年地下に潜行したのち、翌年八月、イギリスの特殊工作要員とともに、パルティザン支援のため、北イタリアに降下、以来レジスタンスの作戦指揮に当ってきたことは前述した。時に五十七歳であった。
解放委員会側はムッソリーニとの会談では、無条件降伏だけを主張し、それ以外には絶対応じないとの立場を貫くことにしていた。
 一九四五年四月二十五日。その日はミラノにとってもイタリアにとっても、記念すべき日となった。この日以来、四月二十五日という日は「イタリア解放記念日」と、公式に命名されることになる。その朝、ミラノは熱気に燃えていた。夜明け前どこからともなく現われたパルティザン達は、市内の各所にバリケードを築き始めた。同時多発的であった。それらパルティザンに市民も三々五々、加わった。
午前十時頃、各政党の新聞が街頭でくばられ始めた。前日までは「地下新聞」だったのが、公然と街角に山積みされ、市民の手から手に渡って行った。行動党機関紙「リタリア・リーベラ(自由イタリア)」は「イタリア国民は自治を手にした」と全面ぶち抜きの大見出しをかかげ、さらに「本日十六時、スカラ座広場で大集会挙行」と知らせた。また社会党機関紙「アヴァンティ!(前進!)」は、これまた全面ぶち抜きで「すべての権力は民主主義の勢力に帰した」と大きな見出しを付けていた。
その頃、一部地域ではパルティザンとナチ・ファシスト軍が交戦し、射撃音ばかりか手投弾の爆発音も響いた。背広のパルティザンを乗せたトラックが走り、ナチ・ファシストの装甲車も全速力で疾走する。銃弾の飛び交う中に、市民も大勢飛び出して来た。通りに市民があふれると、交戦軍双方は銃の引金を引くこともできなくなった。
午後四時、市の中心ドゥオーモ広場で社会党主催の大集会が開かれた。すぐ近くのスカラ座前広場では、行動党主催の集会も催された。いずれも銃を手にしたパルティザンと市民が一緒になって国民解放委員会首脳の声に耳を傾け、ワァーンという歓声ともつかぬ聴衆の熱気と、喜びのあまり小銃を空に放つ発射音がそれに和した。
社会党代表ペルティーニは、高らかに宣言した。
「いま、われわれミラノ市民、イタリア市民はついに蜂起した! 全世界にわれわれの勇気を示そう。ナチ・ファシストに死を! 自由イタリア万歳!」
市民も群をなして「自由イタリア万歳!」を叫びながら、街頭を練り歩いた。戦火をおさめさせ、パルティザン達の身の安全をはかるためでもあった。この朝、砲火の飛び交う街路に真っ先に飛び出した一人ジュリアーノ・ピーニ氏は、その時のことを次のように語ってくれた。
「友人をさそって、命がけで通りに出ました。家々に大声で外に出るよう叫びました。道に人々が出てくれば、ファシストもパルティザンもやたらに銃を発射できなくなるからです。交戦しなければ、パルティザンがあとからあとから市内に入ってくるし、パルティザンが市内を制圧できると思ったからです。われわれの行動がパッと各地に広がり、交戦を食い止めることに成功したのです。いま思うと胸が熱くなります。みんな早く平和にしたいと望んでいたんです。みんな人間だったんですね」
市民達が最初に街に繰り出したその一角は、戦後、英語をそのまま使ったLIBERTY(自由)広場と名付けられている。それにしても、対峙する交戦軍双方の間に立ちはだかり、銃火を停止させた市民とは! 頭の下がる思いである。
 ミラノ市中心部で、一斉蜂起の大集会が行われているその最中、県庁のムッソリーニの許に、シューステル枢機卿差し回しのローマ法王庁車が出迎えに着いた。統帥らに戦火が及ばないようにとの大司教の配慮からであった。
フォンターナ通りの大司教邸にムッソリーニらファシスト側が到着したのは、午後五時過ぎであった。大司教は軍服姿のムッソリーニを丁重に出迎え、解放委員会の代表が着くまでの間、しばらくぶりに話し合った。
とりとめもない会話のあと、大司教は統帥に向って単刀直入、切り出した(注1)。
「統帥、閣下は北の山岳地帯で、戦闘をお続けのつもりのようですが——」
ムッソリーニは、当り前といわんばかりに答えた。
「しばらくは」
そしてすぐ、こう付け加えた。
「でも適当に切り上げて、降伏するつもりだが——」
シューステル枢機卿はそこで、神に仕える者としてのお願いだとして、一気に告げた。
「ここで戦えば、双方からまた多くの犠牲者が出ます。悲しいことです。閣下、もう戦争はおやめになっては……。ここでやめれば、歴史はきっと、閣下をあらためて高く評価することになりましょう」
ムッソリーニは、ムッとした表情で答えた。
「歴史? 猊下は私に歴史を教えるのですか」
その時、解放委員会の面々が到着した。午後六時を回っていた。大衆集会に出ているペルティーニとアルペザーニは遅れるとのことであった。
ファシスト首脳とパルティザン側首脳が相まみえた瞬間であった。シューステル枢機卿や当時の列席者の証言などを基に、その時の双方のやりとりを再構築すると、次のような経過をたどる。
 大司教邸の大広間正面のソファに、大司教と統帥が座った。その前の長いテーブルをはさんで、片やバラク、ゼルヴィーノ、グラツィアーニ、バッシが、それに相向って、カドルナを真中に、ロンバルディ、マラッツァがファシスト対パルティザンの形で相対した。
枢機卿が紹介するまでもなく、昔からみな政敵同士ということで知り合う間柄である。グラツィアーニはパルティザン部隊の総指揮官であるカドルナを見て、うめきにも似たひと呼吸を吐いた。統帥は統帥で血の気を失っていた。ムッソリーニにとっても、グラツィアーニにとっても、カドルナはわずか二年余り前までは優秀な部下だったからである。その人物が、いまや敵将となってファシスト独裁者に降伏を迫ろうとしているのだ。カドルナは自信を秘めて、相手方の発言を待つ態勢をとっていた。
果して、ムッソリーニが口火を切った。
「カドルナ将軍、君達はわれわれにどのような審判を下そうとしているのか?」
戦争の勝敗と、自分達の運命を賭けた交渉ともいうべき初会合での第一声がこれであった。何という弱気の発言! しかしそれは、敗北を余儀なくされている指導者の本音でもあった。
カドルナはそれに答えず、端然と沈黙を続けたままだった。弁護士のマラッツァがそれを受けて、簡潔に言い放った。
「無条件降伏!」
ファシスト達は一斉にムッソリーニの目を見つめた。
マラッツァは、間を置いてさらに続けた。
「ファシスト側が降伏に同意すれば、その軍団はミラノ近郊に集結後に武装解除する。そのあと、全員解散する。ただし特定の罪状による有罪者は除くものとする」
そこでカドルナが初めて口を開いた。
「ファシスト軍は、全員捕虜としての正規の処遇を受ける」
つまり戦争法規に照らして取り扱うことを保証したのである。
それによると、ファシスト側首脳も解放委員会に降伏をした後には「連合軍が到着するまでの間、捕虜となっている」との説明であった。解放委員会はすでに「ファシズムの幹部には死刑もしくは強制労働の罪」を既述のように決めていたが、捕虜裁判とは決めていなかった。「連合軍が到着するまで捕虜」の件は、この会議前にシューステル枢機卿にも解放委員会から知らされていた。ただし連合軍に引き渡すとは言っていない。この点が重要であった。
数時間前までは、お互いに殺し合っていた者同士であった。ファシスト兵はパルティザンをまともに処遇はしていなかった。パルティザン側はそのファシスト兵を国際法に基づいて遇するというのである。ここでパルティザン側は交渉での優位を確保した。ファシスト側は、一挙に諾否を迫られた形であった。
テーブルをはさんで、深い沈黙が支配した。ムッソリーニは腕を組み、あごをつき出して天井を仰いでいた。
その日、ミラノ市内には約二万人のファシスト軍と数千のドイツ兵が駐屯していた。勢力としては決して小さくはなかった。戦闘能力も火器も十分に備っていた。大司教邸での会談中は、戦闘を停止し、会談の結果を待っているはずである。
ようやく、グラツィアーニが口を開いた。
「われわれとしては、ドイツ軍と合意なしに降伏調印はできない。ドイツ軍とも協議したい」
ファシスト側としては、いまはただ時間が欲しかった。諾否を決めるのに、その場を離れて相談する必要が生じたからである。
その途端、マラッツァが大変な事実を口にした。それはムッソリーニらが、唖然とする爆弾発言であった。
「いや、ドイツ軍はすでにわれわれに非公式に休戦を申し入れてきている。御存知ないのか?」
ムッソリーニらはひと言もなかった。
このマラッツァ発言を受けて、シューステル枢機卿がその事実を裏打ちするように、口をきいた。
「ドイツのヴォルフ将軍がいまスイスにいるはずです。連合国側と接触しております」
ファシスト側の五人は、ワァーと皆に聞えるほどのため息を吐いた。万事休すであった。
ややあって、ムッソリーニがあきれたような表情を作りながら言った。
「おう、そうだったか。ドイツは、またも余を裏切ったのか。あの連中はずっと、われわれを使用人扱いしておった!」
統帥はわれに返ったような誠実な顔になっていた。
「八時頃、もう一度来る」
こう言ってファシスト側全員を連れて出て行った。六時四十分になっていた。
カドルナらは「統帥は降伏する」と確信した。
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