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ぼくのコドモ時間10

时间: 2019-12-01    进入日语论坛
核心提示:ちっちゃいりんご「この子のりんごねェ、こんなだよ、こんなにちっちゃいんだよォ」と、小口哲雄くんはボクの母に言ったのだった
(单词翻译:双击或拖选)
ちっちゃいりんご

「この子のりんごねェ、こんなだよ、こんなにちっちゃいんだよォ」
と、小口哲雄くんはボクの母に言ったのだった。母タカコは、この子は何を言わんとしているのだろう? と思ったが、内職で忙しいし、なにしろコドモの言うことであったから聞き流しているのである。
「それでね、みかんはねェ、こーんなにでっかいの」
「ふーん、そう」とワケもわからずに相槌《あいづち》を打ちながら、タカコさんは、ハナガタ電器の内職をしているのだった。あれはいったい、何の部品だったんだろう? 透明のプラスチックのフィルムを、浅い三角形の箱状にするのに、三つのスミを、花ビラ形のプラスチックでとめていく。ピンクやブルーやレモン色のその花ビラ形の小片に、筆で溶剤をつけて、少しとけた状態で角をとめると、それが固まって、三角の箱、というよりフタ状のものができる。

それをセッセ、セッセとつくりながら、タカコさんは生返事をしているワケなのだった。そばで聞いてるボクはというと、小口哲雄くんの言っていることを、やはり、ホントウには理解していなかったもののようなのだった。というのは、小口くんの帰ったあとに、
「りんごがちっちゃいって何?」
とタカコさんがたしかめたのに、明解な返事ができなかったからだった。
「さあ……」とボクは言ったのである。
一週間後に、タカコさんは、池袋第一小学校の父兄参観に出かけていって、ゲラゲラ笑いながら帰ってきたのだった。
「あれは、あの子があれだけ言うだけのことはある」というわけだ。つまり、ボクのりんごが極端に小さいということだ。タカコさんは小口くんと同じように、夕食の時に家族にそのことを発表した。
それは小学校一年生の図工の時間の最初の課題なのだった。赤い色紙一枚と、みかん色の色紙が一枚、それに緑色のテープの切れ端と画用紙が一枚ずつ、全員に配られた。
担任のアンネン・マサコ先生は、アンネ・フランクのようなメンデルスゾーンのような顔をした、ちょっとハイミス的な先生だった。紺色の長いキュロットスカートをいつも着用されていたが、コドモたちは〈ハカマ……〉と思っていた。と、それはともかく、アンネン先生は、その四種類の紙をみんなに配り終わると、一枚の絵をとり出して、黒板に画鋲でそれを貼り出した。
その絵は、赤い紙とみかん色の紙と緑のテープの切れ端を使って、りんごとみかんを描いたちぎり絵なのだった。その絵をお手本にして、りんごとみかんの絵をつくりましょう、と言ったのだと思う。
ボクはまずみかんから始めたら、これが自分でもホレボレするくらいに、すばやく素晴らしいできばえに仕上がった。ボクは即座に画用紙にそれを貼りつけると、緑のテープをちぎって、みかんのヘタをつくった。これも実にうまい具合にできたのだった。
赤い紙をとって、りんごにとりかかってから、ボクの創作はやや難関にさしかかったのだった。なかなか納得できるフォルムをつかめずに、芸術家は苦闘した。ついに納得できる形にたどりついた時、ちょうど制限時間のベルが鳴ったので、それをすばやくのりづけをして、緑のテープをちぎって、軸をつけると、それを提出したのだった。
ボクは自作に疑いを持っていなかった。納得できるものをつくった、と思っていたのだった。しかし、それは客観的に見ると�りんごとみかん�の絵には仕上がっていなかった。りんごの形を整えるのに執心したために、それが、みかんに比べて著しく小さくなってしまっていたからだった。その上、みかんは、あまりにも大きく表現されていた。
つまり、彼の絵は、説明を聞かなければ�軸の折れたさくらんぼと巨大な夏みかん�のように見えたのだった。教室の後ろの壁にはズラリと真新しいランドセルが釘にかけられていたが、その上に、りんごとみかんの絵が五十枚貼り出されているのだった。みんな同じように見えて、どれが自分の描いたものだか見分けられなかったのだが、ボクは次の日に教室に行くと、五十枚の絵の中から、自分の絵をすぐに見つけることができたのだった。小口くんが言うように、母タカコが大笑いするように、たしかにボクの絵のみかんは大きすぎたし、ボクの絵のりんごは小さすぎた。
いま、ボクはその時の気分を、いっしょうけんめい思い出してみてるんですが、マイナスイメージというのが、まるで思い出せないんですね。自分の絵がまちがっていたという反省とか、自分の絵がヘタだっていう劣等感とか、みんなと違うことをしてしまった失敗感のようなものが、まるで浮上してこない。
むしろ、何かタカコさんに|ウケタ《ヽヽヽ》、みたいな、喜んでもらった、みたいな、夕食で盛り上がっちゃって……みたいな気分が思い浮かぶんでした。のちになってからも、この話が�楽しい話�として何度か反芻されたっていうこともあったんでしょうが、とにかく、主観的には、失敗作と思っていない、納得ずくっていう強みがある上に、朗らかに笑ってもらえたっていうのが、楽しい思い出になっている所以《ゆえん》ではないでしょうか。
いったいに我が家では、学校の成績というものにはひどく無頓着《むとんじやく》で、成績について尻をたたかれたり、逆に、いい成績をとってほめられる、というようなことも、ほとんどなかったような気がします。
「宿題やった?」「勉強しなさい!」っていうセリフを聞かされた覚えがない。さらに学校をズル休みしても、とがめられたという覚えがない。これは�学校ぎらい�なコドモだったボクにとっては、とてもありがたい、風通しのよい環境だったと言えると思う。
なにしろ、母タカコの最大の長所というのは、この�ノンビリしている�というところにあったわけで、これはボクが大人になって就職をするとか、お嫁さんをなかなかもらわないとか、といった時にも、一貫していた態度で、一度でもサイソクがましいことや、督促的なことを言われたタメシがない。
コドモの先々の心配をして、先回りにあれこれ手をつくしたり、言い聞かせたりというのが親というもので、それが往々にしてコドモには仇になってしまったりするようなんですが。タカコさんの場合は、それをまあ�やらない�んではなく�できない�、ノンビリしてるもんだから思いつかない、というワケでした。
ボクはこのことをとっても感謝してますね、おかげでダイブたすかったと思っています。
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