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ぼくのコドモ時間35

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:春を感じる〈これが春のにおいだ〉と中学生は思ったのだった。中学生はまるで詩人のようだが、実はボクです。別に詩的の表現をし
(单词翻译:双击或拖选)
春を感じる

〈これが春のにおいだ〉
と中学生は思ったのだった。中学生はまるで詩人のようだが、実はボクです。別に詩的の表現をしようとしているのではなくて実感をしている。しきりにクンクンと、その�春のにおい�を嗅いでいるのだった。
ただ、そのにおいというのは、たとえば沈丁花《じんちようげ》の、あるいは梅の花、というように一般社会人にも納得のいくようなものとは、ちょっと違っていて、�春の香《か》をきく様子�というかその体勢も、居あわせたらやや異様に感じる人もあるかもしれない。
中学生は、もう口もとにヒゲが生えるほどに大人になりかけであって、脛毛《すねげ》も目立ちはじめてきたのだが、はいているのは小学生時代のきゅうくつな半ズボンで、そこからニョッキリと出た素足を屈曲して、膝をかかえる体勢で、しきりにその膝小僧の表面のにおいを嗅いでいるんですから。
早春のまだ寒いころなんですよ。座敷にはコタツも置かれてあるし、火鉢には鉄瓶がかけてあって、白い湯気が立っている。ボクは、ひょっとすると、その日もズル休みをしているのかもしれません。家には誰もいないんです。
おそらく、先刻までは、背中を丸めてコタツとガップリ四つになっていたに違いない。それで首だけねじ曲げて、障子を見ていると、そこへもう、とってもまぶしいくらいに太陽光があたっている。
ふと……
「アレをやってみよう」と、まるで秘密の儀式をするようにして、それをとりおこなったのだと思うんです。押し入れの行李に入っている、いまはもう着なくなった衣類の中から、小学生時代の半ズボンを出してくる。
そうして、なんかむやみに厚ぼったいメリヤスのももひきと、コタツで生温かくなっているズボンとを、一挙にぬいで、素足に半ズボンといういでたちになる。でも上半身は、厚着のセーター姿のまんまです。
ももひきは、冬じゅうはいているものであって、なにしろ寒がりだから体育の時間だって、トレパンの下にももひきをはいたままで叱られたりする、というくらいなのです。
それをイキナリぬぐ、つまり長いこと外気に直接さらされることのなかった、大事にされてきたようなものを突如として、モロに出してしまった、なにかたよりないような奇妙な解放感がある。
しかも、さっきまでしめきっていた障子を思いっきりあけ放ちます。畳に意外に強い冬の陽射しがあたっている、そこに半ズボンの中学生は腰をおろすわけです。そうして膝をかかえる。その陽あたりの中で目をつむると朱色のまぶたが見えています。
そこに、懐かしいにおいがしてくるんですよ、肌のにおい、肌に日光があたっているにおいでしょう。ボクにはそれが�春のにおい�なんでした。誰もいない時に、季節はずれの、しかもコドモのころの半ズボンをつけて、その素足にあたった日光のにおいを嗅ぐ。
そのにおいの記憶はいまでもあります。いまでも、いちばん�春�の実感があるにおいです。が、この奇妙な変態めいた春の儀式を、ボクが毎年とりおこなっていたかというと、そんなことはないので、おそらくこの時一度きりのもんだったのじゃないか? と、いま思い出してボクは疑ってます。
あるいは、半ズボンをはいておかしくない小学生のころに、季節はずれに早めにそれを出してはいて、日なたにポツリと座っていたことが、過去に一、二度あったかもしれない。それを、中学生になって、突然、思いついてやってみた、その時の奇妙な気分というものが強く印象に残った模様です。
ボクは、このせっかくの変態的な趣味を、高校時代にも、浪人時代にも、会社員時代にも、結局やってみませんでした。そうして、いまはもう、リッパなオジさんになってしまったんですが、いま、もしこれをしたところで、それほど倒錯的の気分というのは味わえないのじゃないか? と思っているんです。
一つには、ボクは大人になってしまってから、半ズボンをはくようになってしまったからです。夏や、南洋に旅行する時やに、ボクは半ズボンをしばしばはくようになって、つまり半ズボンに禁忌《きんき》がなくなってしまった。半ズボンをはいても、�道にはずれた�ような気分がともなわなくなってしまったんです。
コドモの時には、コドモはコドモがきらいでした。コドモの格好をしたりするのは、学校で女便所(大便をするためのドアのついた便所を昔のコドモはこう言った。実際、男女で便所を共用していた)に入るのと同じくらいに、とても恥ずかしいことだったのだ。
だから、中学生にもなった自分が、小学生みたいな半ズボンを、しかも冬にはくなんて、とっても�恥ずかしい�、他人に見られたらとんでもないくらいなことだったワケです。
ボクはその、誰にも言えないようなヘンなことを思いついて、そしてスグに実行してしまった日のことを、その時、まぶしく冬の陽があたっていたそのままに、鮮明に記憶したんでした。そして、それが、もう四十二歳になっているオジさんにとって、いまだに�春�のイメージになっている。
 �春�を感じることというのは、ほかにもある。試験に落ちて、ヒマをもてあまして散歩する、ちょっと生暖かくなってきた時分の風の記憶や、下駄をはいて散歩していて、よその家の塀ごしに、白いコブシの花を見上げているところ、庭の沈丁花のにおいを嗅いで、ついにはその花をむしって、二つの鼻の穴につめこんで縁側で足をブラブラさせているところ。
しかし、やっぱり、いちばん�春らしい�と思うのは、ボクにとっては�膝小僧のにおい�ということになってしまうわけなんでした。
ボクは近ごろ、というか、もう十四、五年、ももひきをはかない人間になってしまいました。そういう習慣になってしまったわけです。ももひきをぬいだときの気持よさ、なんていうものは、ももひきをはいた者にしかわからぬものだ! なんて、まるで戦争体験者のように、思いますね。
そうしていまだに厚ぼったい、野暮でジジくさい、ラクダのももひきを、ズボンの裾からのぞかしている人を見ると、そういう意味でうらやましい。
そのモコモコした、なまぬるい、不格好のものをさ、後生大事にのめのめと冬じゅうはいたままにしていてさ、まだちょっと肌寒いけれども、春の兆しの感じられる時に、一挙に思いっきり! どっとばかりに、
「ぬいじゃうのだ!」
その気持のいいことっていったら、あなた! ありませんよねえ! ねえ!?
とか言ってみたくなる。でも、そのためにね、一冬、ももひきをはき通すという気持には、ぜんぜんならないんですけどね。
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