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ぼくのコドモ時間36

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:原っぱの話我が家は現在、十一階建てのアパートの八階にあります。二、三年前からベランダで朝顔を植えるようになったんですが、
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原っぱの話

我が家は現在、十一階建てのアパートの八階にあります。二、三年前からベランダで朝顔を植えるようになったんですが、秋に朝顔が枯れたプランターをそのままにしておいたら、八階まで風が運んできたのか、タンポポや名前を知らない草が勝手に生えてきた。
ボクはこの雑草の生えたプランターを、「小規模原っぱ」と呼ぶことにして、このまま永久保存にする意向であります。いまはもうビッシリわけのわかんない草でおおわれている。
時々、白い小さな花を食べに雀もやってくるようになった。風に乗って野良犬が飛んできたりすれば、その糞や体についた種からさらにいろんな種類の草が育つかもしれないが、なかなかそううまいことはいかない。が、この原っぱは、小なりといえども、現物の原っぱで、盆栽とはワケが違う。自宅のベランダに原っぱを飼ってる人というのは、わりあいめずらしいかもしれないなと、一人満足をしているところです。
ベランダは、雨風をよけるように設計されてあるから、どうしても自然状態とは違ってしまう。だからボクは、雨の降る日には、わざわざ人工雨を降らさなければいけないわけで、雨の季節には忙しくなります。
原っぱというのは、やむをえず空き地になっている場所で、ボクらの子どものころというのは、戦後の混乱が、まだ続いていたもんだから、いくらでもそこらにあった。といって、そこはもともと何にも使われていなかった空き地ではなくて、空襲で焼け落ちた銭湯や工場の、その焼け跡で、ガレキやガラクタを捨てた、ゴミの山のようなものだ。しかしその山を、すっかり雑草がおおっている、というようなところだった。
だから穴のあいた鉄兜や、鉄砲の銃把《じゆうは》や、袋の形に固まってしまったセメントや、ブヨブヨの異星の生物みたいに見えるペンキやらが、一面の草原のアチコチで発見できる。
これはなかなか、退屈させない趣向であって、たとえばキレイな金色の絵が描かれた、タイルの浴槽の廃墟に入って、じっとしていたり、なんだかわからない機械の一部が、すっかり錆びついているのを土中から発掘してみたり、と、いろいろに楽しめるのだった。
以前に、原っぱの話をしていたら、「原っぱには鉄条網がつきものだった」と言う人があって、「ああ、そうだったかな、すっかり忘れてたけど」と、そのつもりでいたのだが、よく考えてみると彼は、ボクよりも十も年下の人で、なるほど十年たつと、原っぱも管理がいきとどくようになったのだなと気がついた。
ボクらもよく鉄条網で服をやぶいたりしていたけれども、それは原っぱで遊ぶ時じゃなく、どこかに遠征をした時だった。となり町の工場にニオイガラス(こするといいにおいのするガラスで、これは飛行機の風防に使った防弾プラスチックだったとあとで知った)をとりに行ったり、電車区の構内にしのび込んだりする時に、つくったカギ裂きだった。
近ごろ、知らない町内をフラフラ歩いていて、時に原っぱを見つけることもあるけれども、いま、原っぱは鉄条網どころか、りっぱな金属製の高い塀に囲まれていて、そこで遊ぶつもりなら、まるで原っぱのほうへ脱獄するくらいの決意がいりそうだ。
原っぱのワキを通っている線路端に、×印の標識があって、これにはめこまれたビー玉をくり抜いてくるのも楽しみだった。夜間にヘッドライトを反射するためのもんだったのでしょうか、板にビー玉がたくさんはめこまれてあったんですが、なんで子どもの遊び道具が、そんなところにあるのかが不思議で、ボクらは見つけしだいにそれをくり抜いてきたんでした。
小学校にあがって、紙芝居で『幸福の王子』を見せられた時、ボクは銅像の王子と、その黄色と黒のダンダラの、踏切注意の標識が奇妙にダブって、行き違ったような後悔を感じたりしたもんでした。幸福の王子は、貧しい人たちのために、自分の体にはめこまれたルビーやサファイヤやの宝石を、くり抜かせて、ツバメに持っていかしたのだった。王子様はやさしいなあ、とボクは思って、いまでもボクはこの話を思い出すとしんみりします。
線路端には、そのころもいまも、名前を知らない草が生えていて、それを無意味にムシったりしていた気分が、少し暖かい陽射しの感じといっしょに思い出せたりします。線路端で何をしていたのかというと、釘を電車に轢かせていたので、それは�やってはいけないこと�だったから、ちょっとドキドキする楽しい遊びなんでした。電車に轢かせた釘をその後、おひなさまの刀に加工したというわけじゃなく、それは一時間もすればあきて捨ててしまったんでしたが。
原っぱには、時々、知らないオニイさんやオジさんも来たりして、しばらく土管の上でボーッとしていました。ネコが草を食べて吐いたりするのを〈キモチワリイ!〉と思いながら、じっと見ていたこともありました。
知らないオニイさんは、やおら、ハーモニカをポケットからとり出すと、やけにさびしい曲を、すっかりその気になって吹いたりもした。それを草をむしりながら、つっ立ってきいていたのは、もう夕方近くでした。あるいは、お豆腐屋さんのラッパも聞こえてきて、泥でガサガサになった手の平を指で感じながら、小走りに家へ帰るところだったかもしれない。
ふと、気がついて夕焼けを見たのも、原っぱの草むらの中だったりした気がするけれども、その前にはいったい何をしていたのか、覚えはないんでした。しかし、最近、夕焼けだの虹だのをずいぶん見ていないな、など、しきりに思います。
原っぱは、その後整地されて、野球ができる場所になったと思ったら、コンクリート会社のジャリ置場になり、さらにコンクリートのサイロのような巨大な建物が建ってしまって、遊び場には不向きになった。
そのころ、あるいは、あらゆる原っぱには鉄条網がつきものになってしまっていたかもしれないが、それでも遊び場はいろんなところにあったし、遊びかたも変わって、とんでもなく遠いところまでボクらは遠征するようになっていました。野球をするようになったのです。
大人のオジさんが、ユニフォームもキャッチャーマスクもプロテクターもスパイクシューズもそろえて本式に野球をしている同じグラウンドで、ボクらは外野の一部にダイヤモンドをつくってゲームしました。
グラウンドにもところどころに草は生えていましたが、そこは原っぱじゃあないので、あのころから、ボクは原っぱと疎遠になっていったのかもしれない。花が咲いたり蝶々が飛んでいたりするような原っぱと、どんどん縁がなくなっていったのだった。
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